生きているだけではダメですか?

最近、僕はうつ病や精神疾患の方のツイートを見てすごく虚しくなることがある。

朝なんとか起きれて、ご飯を食べて、しんどかったらまたベッドに戻って昼寝をして。

家事や仕事をする人はして、しない人はネットやらゲーム、また、気分転換にちょっと散歩にでも出かけてみたりして。

夜になってまたご飯の用意をして、テレビでも見ながら身体と相談し、ちょっと一杯、お酒でも呑んで。

家族と一緒に住んでいるなら、食後のお茶とお菓子をお供に、今日あったことなどをお互い話したりして・・・。

だらしなそうに見える生活だけれども、ちゃんと今日もここで生きている。

確かにそこにいて、存在しているし、生きている。

だけれども、人間って、ただそこにいて、ただ生きているだけでいいはずなのに、なぜかみんな頑張ろうとする人がほとんどだ。

リワークやら、就労支援やら、ハローワーク・・・

正直、そんなのお腹いっぱいでうんざり。

ただ生まれてきてここで生きているだけでも素晴らしいことなのに、なんでみんな、今ここに自分がいること、今自分にできることには目も向けず、自分にとってできないことばかり考えてしまうのだろうか?

僕は別にこんな生活でもいいと思うんです。自分に素直で。

病気で働けないなら働けないで、無理してまで社会に戻ろうとしなくても。

自分に素直で何よりもいいじゃないですか?

心身ともに自信もないのに無理して戻ったところで体調が悪くなってまた働けなくなってしまったら、自分にとっても雇ってもらった会社にとっても不運じゃないですか?

こんなの、お互いに良くないし、もちろん、社会にとっても良くない。

そんなことを言うと

「所詮、そんなのは綺麗ごとだし、そもそも実際問題として、金がないと生活できないじゃないか!」

とお叱りを受けるかもしれません。

でも、家族や親戚がいれば頼ればいいし、頼れる人が周りに一人もいなくても、最悪この国には幸運にも生活保護という制度もある。

それでも、たいていの人は一旦は裏切られた社会に戻ろうとするんです。

奴隷のように雑に扱われて、仕事や周りの人間のせいで病気になったにもかかわらず、必要じゃなくなったらボロ雑巾のように爪はじきにされ、会社の本音では、

「お前なんか社会のお荷物なんだよ!はっきり言って迷惑なの。二度と来るんじゃねーよ!!」

と宣告されたにもかかわらず、それでもそんな社会に自分を殺してまで迎合し戻ろうとする。

「うつ病は甘えじゃない。」

そんなことは理屈では分かっているけれど、自分はきっと甘えに違いない。

そう思ってしまうのがうつ病をはじめ、僕ら精神疾患持ちの人の性(さが)。

こうやって「悪いのは全て自分」と、自分を責めて責めて責めまくって、社会からは邪魔者扱いされ、それでもなんとか生きようと生活のために必死に頑張ってお金を稼いでも、世間一般の社会人と呼ばれる健常者と自分とを比べてしまい、「やっぱり自分ってダメだな」と落ち込む日々。

「生きる意味ってなんなのだろう?そもそもなんで自分はこんなにも頑張っているのだろうか?」

そんなことを考えて、ある通勤途中の朝、突然、糸がプツっと切れたかのように電車に身を投げ出してしまう。

僕は「そりゃあ、そうならない方がおかしいよね。」とさえ思ってしまいます。

でもね、人生がすごい充実していて楽しい時なんていうのは、誰もそんなこと考えないと思うんですよ。

家族旅行に行ったとき、友達と他愛もない話で盛り上がっていたとき、恋人とデートをしていたとき・・・

もしあなたが、このような楽しかったときの思い出があるならば、ちょっとその時のことを思い出してみてください。

私事で恐縮ですが、僕ならば幼稚園の時、砂場で遊んでいるとき、小学生の時マリオやポケモンのゲームに没頭していた時、大学生の時、友達とカラオケに行きまくっていたときとかでしょうか。

僕はその瞬間に「生きるってどういうことなんだろう?」「生きる意味ってなんなんだろう?」なんてこと、考えたこともありません。

でも、僕はうつ病になってからはこんなことばかり考えていた。

いやね、きっと人間ってこういうことは考えちゃいけないものなんだと僕は今思うんですよ。

人が生きる意味なんていうのも、僕が今ここにいる理由やあなたが生まれてきた理由なんていうのも全部。

だって生きることそのものに正解なんてない。そんなの絶対にない。あるわけない。

人間ってただ生まれて、ただ子孫を残すためにイチャイチャして、その役目が終わればただただ死んでいく。

それ以上もそれ以下の意味もない。

だいたい、ヒト以外の動物なんて、みな、そうじゃないですか。

そこにはただ生命が宿ってただ生きているだけ。

その生命には何の意味もない。ただ、そこに命が「存在している」だけ。

生きることに意味なんてあるわけないのに、僕ら人間は皆、「やりがい」だとか「生きがい」だとか、さらには「働きがい」なんてまで、生きる意味を無理にこじつけて、身体までを犠牲にし神経をすり減らして頑張り過ぎている。

そんなのは絶対におかしいと僕は思う。

僕は正直、「ロボットやAI(人工知能)が人間が嫌がる仕事を全部早く奪い去ってくれないかなぁ」と思っている。

たとえ、人類全員が労働から解放され、働かなくても生きていけるベーシックインカムのような制度ができたって、それでもきっと働く人は働くんだと思う。

だけれども、お金の心配がなくなってしまえば、社会にズタズタにえぐられた人の心も幾分は回復するはず。

うつ病をはじめ精神疾患の方のツイートを見る限り、一度心が壊れた人は自分なりに試行錯誤してみんな本当に頑張っていると思う。

だけれども、残念ながらその努力が社会から認められることはほとんどないと言って間違いない。

だって今の社会というのは健常者が中心で回っているから。

さらにその健常者の中でもカースト制になっていて、一人が立ち上がって頑張っても社会全体を変えるのは至難の業だ。

そしてもっとたちが悪いのは、「人は誰もが健常者であって、病人や障害者はあくまで例外」という前提の考えに、誰もがある意味洗脳させられているから、心が壊れてしまっても自分で自分を褒めるどころか、自分を責めまくって追いつめてしまう。

もう、そこまで自分を追い込まなくてもいいんじゃないの?

生きているだけで十分頑張っているじゃないか・・・。

ちょっとの期間休んで、好きなものでも食べても、罰は当たらないんじゃないのかなあ。

ゆっくり休んだらきっと元気も蓄えられて、いい考えも浮かんでくるかもしれないしさぁ。

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