うつ病の罪悪感の正体は認知の歪みだと気づかされた話

認知の歪み

こんにちは。うつ病ブロガーのだいだいです。

先日、こんなツイートにはっとさせられました。

鬱病の友達に「私休職中なのに旅行行ったり、人生楽しんでいいのかな?」って言われたけど、そもそも人生に楽しんじゃいけない時間とか存在しないから

— 木村映里 (@eri010k) 2017年8月9日

子どもの頃はゲームや遊び、学生の頃は旅行など、好きなことは時間を忘れて何でも熱中して楽しむことができていたと僕は思っていました。

しかし、うつ病になって無職になった後では、子どもの頃に好きだったゲームをしてみても、なんだか「こんなことしてていいのだろうか?」と合い間合い間に思ってしまい、純粋に楽しむことができなくなりました。

特にうつ病と診断され職も失ってから1年ぐらいまではそんな気持ちを常に抱え、「働いていないのにこんなことしてていいのかな?」という罪悪感みたいなものを感じていたんです。

今でもそういう風な罪悪感を感じることが全くなくなったとのか言えばそうではありませんが、そんな折、僕は上記の流れてきたツイートを見てはっとしたんです。

罪悪感を感じる一番の原因は「自分が勝手に壁を作っていたのではないか」、「そもそも自分自身が楽しむこと自体に許可をしていないのではないのか」ということに。

目次

罪悪感の正体

休んだときの罪悪感

あなたも学校や仕事をずる休みした経験はありませんか?

ずる休みに限らず、なんらかの理由で学校や仕事を休むと初めのうちは、

「みんな学校で勉強してるのに自分だけ遊べてラッキー!!」だとか、

「みんな仕事だけど今日は僕だけ自由の身だ!」など、

優越感を味わうことができるのだけれども、それは時間が経つにつれだんだんと罪悪感に変化していきます。

僕も優越感とまでは言えないけれど、うつ病になって職を失ったときは「しばらく何も考えずに身体を休ませることができるぞ」と心底ホッとしたのですが、そのしばらくが経ってしまうといつの間にか気づかない間にこんな罪悪感に苛(さいな)まれていました。

「他のみんなは仕事を頑張っているのに、自分ばかりがこんな生活を送って遊んでいてもいいのだろうか?」と。

そう感じてしまうと頭の中をうすらうすら漂っていた「罪悪感」というものは「何かしないと落ち着かない焦り」を伴って精神状態に現れてきます。

罪悪感が楽しむことを許してくれない

その罪悪感が生む「焦り」はやがて「自分が楽しむこと・幸せに感じること」を禁止するようになってきます。

自分で自分を縛るように、ここまで罪悪感で頭がいっぱいいっぱいになってしまうと、もう何をしても楽しく感じることはありません。

「働けない自分には価値がないんだ・・・」

「このまま生きていても人に迷惑をかけるだけだ・・・」

こうやって無気力になり悪循環に陥ってしまいます。

思い込みから生じる罪悪感

ここまで自己否定するまで追いつめられると危険領域なのですが、これを生む罪悪感というものは、実は「本人が」そう感じているだけであって、他の周りの人は案外、「別にそこまで自分を悪く思う必要なんてどこにもないなのにね」ということが多いです。

「自分が生きている意味なんてないんだ、死んだ方がマシだ」と言う人に「そうそう、ほんとにあなたは生きている意味ないよね、だから早く死んだ方がいいよ」って面と向かって言う人はそうそういないですからね。

なぜこのように自分と他人の認識にギャップが生じるのか。

罪悪感を感じる理由は自分がこうでなければダメだと勝手に決めつけているからだと僕は思います。

そしてこのように決めつけてしまうのは、たいてい認知の歪みという思い込みから生じます。

罪悪感=認知の歪み

「うつ病の人は遊んで楽しんではいけない、休んでいるんだから家で大人しく寝ておくべきだ」

これは特にうつ病で会社や学校を休んでいる人、またうつ病で会社を辞めて無職の人の中で罪悪感を感じる人ほど強く思っていることでしょう。

僕もうつ病で会社を退職して病気の療養に専念しているときはまさにこう思っていました。

しかし先日、冒頭にも紹介したこのツイートを見てはっとしたんです。

鬱病の友達に「私休職中なのに旅行行ったり、人生楽しんでいいのかな?」って言われたけど、そもそも人生に楽しんじゃいけない時間とか存在しないから

— 木村映里 (@eri010k) 2017年8月9日

「そもそも人生に楽しんじゃいけない時間なんて存在しないし、楽しんじゃいけない、遊んではいけないって決めつけていたのは他の誰でもない自分だったのでは」

ということに。

この罪悪感の正体は「楽しんではいけない」という認知の歪みであったということに。

しかも、そもそもうつ病などの精神疾患の場合は、外に出て遊んでみることも治療の一環ですからね。

そうであるからこそ、うつ病だからといって、働けないからといって楽しんではいけないという根拠なんてどこにもないのです。

最後に~楽しむことを許すことから~

ここからはあくまで僕の個人的な体験談ですので参考程度に読んでいただけたらなと思います。

僕もうつ病になって無職になってから、このブログを始めるまでの間は本当に「何をしても楽しくない」という状態で、「何かしないとそわそわする」など精神状態も非常に不安定なものでした。

しかしブログを書き始めて、ブログに少しずつアクセスが集まってくると、「こんな自分の書いた文章でも必要としてくれている人が大勢いる」ということに気付いて、少しずつですがブログを書くことが楽しくなってきました。

それまではゲームをしても、遠出をしても、言い表せないような虚しさと罪悪感を感じていたのが、ブログを書くことだけはなぜか心から楽しむことができたのです。

今思えば、うつ病になる前でさえ、僕は本当に心から楽しむことができていなかったのかもしれない。

子どものころからうつ病になるまで、自分の好きなことをしている時間でさえも勉強や将来のことなどしなければいけないことを頭のどこか片隅に思いつつ生きてきたから、うつ病になったともいうこともできるし、うつ病になったからこそ少しずつですが「楽しむ自分を許す」こともできるようになっていったのかもしれません。

「誰でも人生に楽しんではいけない時間なんて存在しない、罪を犯さなければ何をしたっていい。」

僕は今こう思っているからこそ、この文章を書いているわけだし、ブログを書いている時は何も他のことを考えずに書けるので本当に楽しいです。

だからこれからも僕は楽しむことをどんどん許していきたいと思し、これからの人生を楽しむために僕はうつ病になったんだと思いたい。

今回のお話は以上です。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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