こんにちは。うつ病ブロガーの大ちゃんです。
ブログを書く人のことをブロガーと呼び、その中でもブログからの収入のみで生活している人を俗にプロブロガーと言ったりします。
そんな中、「専業のプロブロガーになりたい!」って言う人は、世の中に食っていける仕事はたくさんあるにもかかわらず、「好きだから」とか「自信がある」と言って、あえてブログに挑戦するような人が一般的なイメージだと思います。
つまり、たくさんある仕事の中から自分がやりたい仕事を選べるという選択肢がある前提で、そういう物書きという仕事を選んだということになります。
あるいはもっと単純で「楽して稼ぎたい」とか「不労所得が欲しい」といった理由も多いです。
そういった人もブロガーの中には多いから、ブロガー全体が非難されることも多々ありますが、僕の場合は違います。
就職してからうつ病になってしまい無職になった僕は、「働いてお金を稼ぎたいけど、就職したら死んでしまう!」という矛盾を抱えているからこそ、ブログを書くという選択をしたのです。
いや、ブログを書いていくしか選択肢がなかった、と言った方が正しいのかもしれません。
体力が落ちて普通に働けなくなった僕
僕はもうすぐ25歳になります。
普通に考えれば仕事にも慣れて毎日元気に働いている頃。
しかし僕は前述したとおり新卒で就職した会社でたった4ヵ月でうつ病になり、退職にまで追い込まれてしまいました。
それから2年が経ち、うつ病の症状はだいぶん落ち着いてきて、外出もできるようになりました。
それでも、身体のだるさは休んでも完全に疲れが取れないし、そもそも早朝覚醒などの睡眠障害でしっかり休むこともできないので、うつ病になる前の身体に戻ったと実感する日はまだありません。
ここ先日、お墓参りなど先祖の供養のため、家族や親戚と遠方へ出かけることが多くなったのですが、外出したその日の夜や次の日は身体がクタクタで、僕の唯一の仕事であるブログを書くことすらできなくなりました。
やはり1日8時間・週5日外で働くことは今の僕の身体ではできない。
こう言うと、大半の人は「大げさだ」とか「甘えだ」とか「気合で乗り切れ」だとか言うのだけれど、こんな状態の僕は「就職したら死んでしまう!」と本気で思っていて、就職することに恐怖心さえ感じているのです。
うつ病を患って2年が経ち、うつ病になる以前のように元気に毎日働けるぐらいまで回復したと心では思っていても、身体は正直で現実はそんなに甘くないことに気付かされます。
僕がお金を稼ぐにはブログを書くしかなかった
先ほど「ブログを書くことが僕の唯一の仕事」と書きました。
このブログは約1年半前に開設し、これまで200近い記事を書いてきたおかげで、完全に生活できるまではいかないけど、僕は毎月ある程度の収入をブログから得ることができるようになりました。
ブログを書き始めた理由はたくさんあるのだけれども、やはり自分の最低限の生活費を稼ぐためが主たる理由です。
これから先も生きていくのにはお金が必要で、お金を手に入れるためには働かなければならない。
でもこの身体で就職したら今度こそ本当に死んでしまう。死ぬまで行かなくても週5日継続的にこれからずっとずっと働き続けるのはほぼ不可能。
なら就職しなくても生きていける道を切り開いていった方が社会に適合する努力をするよりはマシで(それでも難しいし決して簡単な道ではないだろうけど)、なにより現実的なのではないか。
そうやって僕はこれまでブログを書いてきましたし、少なくとも最低限の生活費を稼げるようになるという最初に決めた目標を実現するまでは、体調が悪くて今回のように記事の更新がスローペースになろうとも、死ぬまでブログを書き続けると思います。
だから、僕はブロガーですが、冒頭に書いたように文章を書くのが始めから好きだとは思っていませんでしたし、必ず成功するという自信なんてありません。
でもこれしかない。生きていくためにはブログを書くしかない。
「好きだから」とか「自信がある」とかという積極的な理由ではなく、僕がブログを始めた理由は極めて消去法的な理由からでした。
そして、例えば僕がうつ病にもなっていなくて、ブログを始めた理由が「ただ楽して稼ぎたいから」ぐらいの理由だったならば、今ぐらいの収入を得ることなんて到底できなかったと思いますし、そもそもこんなにも続いていなかったことと思います。
いわば生きるか死ぬかの「背水の陣」状態だったから、そしてうつ病になってどん底を味わった経験があるから、ここまで来ることができたし、これからも僕はブログを書き続けることだと思います。
成功は失敗や挫折という負の感情から生まれる
僕はブログの記事を書くために、無名の方からそれこそブログで完全に食っていけるプロブロガーの方まで、たくさんの方のブログ記事を読ませていただいているのですが、そんな中感じるのは、そこである程度成功している人は何らかの失敗や挫折した経験を持っている方がすごく多いなあと感じています。
そこから思うのは、僕は人が何かを成し遂げようとするときに、「誰かのために」だとか、「熱意と誠意があれば」だとかという言葉は単なるきれいごとに過ぎないということです。
人をやる気にさせるというか、人を突き動かす原動力というものは、こんな誰でも言えるきれいごとから生まれる感情ではなくて、ドロドロに濁りきった負の感情だと僕は思います。
「自分は人と比べてダメダメだけれど絶対に成功してやるんだ」とか、「今までバカにしてきたヤツを見返してやるんだ」などという、負の劣等感を強く持っている人こそ成功するんだと思う。
なぜなら、そういう悔しいことを思うと、これからやることは「やるかやらないか」ではなく「絶対にやってみせる!!」になるから。
僕は今までずっと、「うつ病で無職になってもここまでやれるんだぞ!」と、「甘え」で片付ける人々やそういう偏見や風潮がある社会を絶対に見返したいと心の片隅でずっと思いながら記事を書いてきました。
そして見返したいと思う気持ちは僕の場合、うつ病の闘病中に感じている悲しみや悔しさから来ているものが圧倒的に多いと思っています。
うつ病になって無職になったこと。
それがとても悔しかった。悔しくて悔しくてたまらなかった。
どこにぶつけていいか分からない、虚しさ、悔しさ、そして怒りなど、いろいろな負の感情が濁流となって心に堆積していた。
当時はずっと部屋に引きこもり涙を流していて、その頃からはもう2年が経とうとしているのだけれど、今も自分をやる気にさせるものはやっぱりあの時の濁った感情なんだなとここまで書いてきて思ったことです。
僕はあの時の、うつ病になるまで働いていた会社にいるときのような生活には二度と戻りたくない。
だからうつ病で身体が思うように動かなくて悔しいと思えば思うほど、僕の原動力はどんどん湧いてくるのです。
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