「働かざるもの食うべからず」と言う人は自分で自分の首を絞めている

働けなくても生きていい

こんにちは。うつ病ブロガーのだいだいです。

「働かざるもの食うべからず」

という言葉がある。

この言葉はよく「働いているものが働いていないものを侮蔑するとき」や「働いている人が働くことを正当化するとき」によく使われる言葉だと思うが、僕はこの言葉というか、こういう考え方自体が大嫌いだ。

しかもよく調べてみると、この言葉の語源は旧ソ連(現ロシア)にあって、資本家は大して働かないのに、労働者をあくせく働かせて搾取している姿を見た革命家のレーニンが「働かない資本家」のことを言い表したのが最初だと言われている。

だから本来はこの言葉というのは、無職の人ではなく今で言う「ブラック企業」と言われる会社の社長や経営者のことを指すものであると。

なのに僕ら日本人はこの言葉を本来の意味とは違う意味でとらえてしまって、現在では「働けない弱者であろう人をさらに追い詰めるような言葉」として使われるようになっている。

しかも厄介なのは「それが当たり前のことだ」と考えて、世の中で堂々と「働いている自分は偉い!働かないやつはクズだ!」と言っている人が一定数いること。

僕はそんな人を見ると「マジでそんなこと思ってるの?」とか「働いているか働いていないかで人間性って決まるの?」とすごい疑問に思ってしまう。

「働かざるもの食うべからず」

この日本において、これはまさしく「労働することが当たり前」で「労働しないもの」は生きている価値がないということを表している言葉。

でもそう思っている人は想像力を働かしてよく考えてほしい。

その、働かざるものというのは「明日は我が身になるかもしれない」ということに。

目次

明日は我が身かもしれない

人間って何がきっかけでいつ自分が「働かざるもの」になってしまうかは誰にもわからない。

僕だって会社員として働いていたときにうつ病になり、そのまま働けなくなってしまって無職になり、それがきっかけで今はこうして雇われずに文章を書く仕事をしている。

就職したときはまさか自分が無職になり、その後、文章を書いてお金を稼いでいるなんて夢にも思っていなかった。

僕は現在、雇われてはいないので半分は働いていない無職のようなものだが、この言葉を偉そうに豪語する人には、

「明日病気になって働けなくなっても、いや今日この後にたとえば車に轢かれて働けない身体になっても果たして同じことが言えるのだろうか?」

と、僕ははなはだ疑問に思う。

そういうと、

「そんなのは例外で話が違う!」

って反論されそうだけど、それはどう考えてもおかしいと僕は思う。

「働かざるもの食べるべからず」という言葉を言ってくる人っていうのは、結局はただ単に「働いている自分ってすごいんだぞ!」と自分自身を正当化するために、働いていない人を利用して見下しているだけだ。

よく考えてみると「働いていない」という観点では、ニートも高齢者も障害者も学生も子どもも専業主婦も専業主夫もみんな同じじゃないか。

そういう事実には目も触れずに、ただ働いていないニートだけに向けてこの言葉を使うのは都合が良すぎるし、僕は悪意すら感じる。

人間っていうのは働けない期間もあるし、歳を取って身体が弱くなってくると、どうせ働けなくなる。

だから、ニートや高齢者や障害者や学生や子どもや専業主婦・専業主夫も「働いていない人はみんな飯を食べる権利がない」って言っている人っていうのは、自分がそのような立場になるかもしれないということを一切考えていない、自分さえ良ければそれでいい、非常に自己中心的な人なんだなと僕は思う。

働かなくたって食べていいし、もちろん生きていい

Free-Photos / Pixabay

僕は別に、働いている・働いていないに関わらず、誰もが飯を食べていいし、生きていいと思うし、

人間、誰であっても最低限の生きる権利があるということは強く主張したい。

いや、そもそもこれは当たり前のことで、こんなことを議論する方が不毛である。

僕は本来こんなテーマで賛否が巻き起こる社会がもう異常な社会そのものなんだなとも思う。

だって、働かなくて食べるご飯も働いて食べるご飯も同じ味であるし、そもそも「食べる」ということと「働く」ということに関係性なんてどこにもない。

第一「働くため」に人間が生まれてきたわけじゃないのに、働くことが人生の目的だと言っている人も特に日本人の中には多い。

もちろん、お金がないので食っていくために働かなくちゃいけないっていうのはもちろんあるかもしれないけれど、働く目的なんていうのはあくまでお金を稼ぐためのものであって、自分の夢を実現するような場所とはイコールではない。

そもそも、働かないというだけで逮捕されるわけではないし、法を犯して犯罪を起こさない限り、どう生きようが本人の勝手だ。

だから別に、働かなくてご飯を食べるというのは一切悪いことではない。

むしろ、このような誤解を招くような言葉を使って周囲に嘘をまき散らしている人の方が悪いような気もする。

だってそういう人っていうのは「働かない」というだけで人を見下して差別しているようなものだから。

「働くこと」ばかりにこだわり過ぎて、自分の感情を抑えこみ過ぎな日本人

でも、こういう「働かざるもの食うべからず」という言葉を平気で発してしまえるのは、それを言う本人もそれだけ追い込まれてしまっているからなのかなって僕はなんとなく気の毒に思ってしまった。

なぜなら、僕も無職になるまではそっち側の人間だったから。

人間って誰しも思っている以上にそんなに強くないし、必死に自分の立ち位置やプライドを保つために弱者をいじめる生き物、それが人間だから。

自分も頑張って働いているのになかなか仕事がうまくいかないときなんていうのは、つい働いていない人としんどくて苦しい自分とを比べてしまい、そんなはけ口がないとやっていけないほど精神的に追い込まれているのかもしれない。

だから「しんどいときはしんどい」「苦しいときは苦しい」って言うことができる環境を作っていくのも大切なことなんじゃないかと僕は思う。

だけど、そんな自分が苦しいということをなかなか言い出せない雰囲気があるせいで、働くことだけに目がいってしまい、それによって自分の感情を抑え込んでしまい、最悪の場合、死に至るまで追い込まれる。

そしてそんな雰囲気を作っているのは紛れもなく「働かざるもの食うべからず」が当然だと考えている人たちである。

これはどう考えても悪循環で、「追い込まれた弱者がさらに弱者を追い込んでいる」とも言い換えることができるのではないか。

だけど、お金を得るための手段である仕事で死んでしまうなんて本末転倒で本当におかしなことだし、こういう言葉が今日もあちらこちらで言われているのは、「働くことが人間として当然だ」と思い込んでいる人が多いからだというのは紛れもない事実だと僕は思う。

きっと、そういうことを思っていること自体が「自分で自分の首を絞めている構図」になっている。

でもちょっと見方を変えてみると、働いている人も働いていない人も両方いることで経済がうまく成り立っている部分もあるし、全員が全員働いたところで経済成長率もほとんど変わらないんじゃないのと僕は思う。

むしろ、みんながみんな普通に雇われて働いたら今以上に通勤ラッシュの混雑はひどいものになって、電車に乗って会社にたどり着くこともかなりの苦労になるだろうし、今働いている人の仕事だってどんどんとなくなっていく

そもそも、極端な話、働く人ばかりで遊びや娯楽で消費する人が0になってしまえば、衣食住に関わる最低限のこと以外の分野では、消費が行われなくなって働く必要がなくなってしまうわけだし。

僕は働かないことより、働けない人や働くのが苦手な人に無理に働かせて命を落としてしまう方がよっぽど良くないことだと思う。

だから世の中は働かない人に対してもっともっと寛容になってもいいと僕は思う。

別に働かない人がいるからといって、自分が害を被ることもないだろうし。

ということで、特に日本人は「働くこと」ばかりにこだわりすぎなんじゃないか。

そんなことより、「働き過ぎ」の日本では、働きたいときに働いて、休みたいときに休むような感じにして、働くということのハードルを下げていき、ゆるくまったり働いていった方が社会全体としても豊かになって個人の幸福度も上がっていくんじゃないかと個人的には思う。

働くことも人生の暇つぶしの一部

先ほども言ったが、別に人間、犯罪などの悪さをしなければどのように生きようが基本、自由なものである。

だから、「働かないと・・・」と生きるハードルを無理に高くするより、「法律を守る・犯罪を起こさない等の最低限のルールを守っていればOK」というぐらいにハードルを下げて好きなように生きていけばいいと僕は思う派。

別に人生において、やらなくてはいけないことなんて何一つないし、あくまで仕事なんていうのも長い人生においては暇つぶしの一つだと思う。

「働かざるもの食うべからず」という言葉に代表されるように、「仕事」や「働くこと」に対して変に高いハードルを自他ともに求めるから、過労死や過労自殺が蔓延するようなおかしな事態になる。

そもそも、楽しく幸せになるために人は働くのであって、働くために人は生きているのではない

そこをはき違えている人が日本にはあまりにも多いため、ブラック企業や過労自殺などの労働問題がこんなにも社会問題化しているのであろう。

他人に対しても、そして自分に対しても、もうちょっと心にかかる心理的な負荷を軽くし、原点に帰って人間本来の目的である「楽しく幸せに生きていくこと」を考えることも必要なのではないかと思う。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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