こんにちは。うつ病ブロガーの大ちゃんです。
学習性無力感という言葉を知っていますか?
調べてみるとこうあります。
長期にわたってストレスの回避困難な環境に置かれた人や動物は、その状況から逃れようとする努力すら行わなくなるという現象である。
僕も最近になって知ったことなんですが、初めて知った時は、これって今の日本の社会の状況をそのまま表しているのではないかと、とても腑に落ちました。
そこで今回はこの学習性無力感から、人が生きづらさを抱えてしまう原因とその対処法について関げてみたことを書いていこうと思います。
学習性無力感の例
学習性無力感について調べてみると、犬を使ったとある有名な実験がありました。
実験ではまず、鎖につないで自由に動けなくした犬に、電気ショックを与えます。
当然ながら、犬は嫌がり、この状況からなんとか抜け出そうと鎖を噛みちぎったり、逃げようとしたりして激しく暴れます。
実験はこれを何度か繰り返します。
実験が始まって始めのうちは犬は暴れて電気ショックに抵抗していましたが、このようなことを何十回も繰り返していると、やがて犬は電気ショックに対しての抵抗を諦めるようになり、おとなしくなります。
次に、電気ショックを与えても犬が暴れなくなったのを確認した後に、つながれた鎖を外し、それから再び同じように電気ショックを与えます。
この時、もちろん鎖は犬につながれていないので、その場から逃げだせば、痛い電気ショックからも抜け出すことができます。
しかし、この時、犬は逃げようとはせず、電気ショックを浴び続けます。
痛い電気ショックを我慢しなくても、その場から走るだけで逃げられるはずなのに、犬は走るどころか動くことすらせず、ひたすら電気ショックを我慢し続けます。
この犬は「もう何をしても電気ショックから逃げ出すすべはないんだ、無駄なんだ」と学習してしまったのです。
これが学習性無力感です。
日本社会を覆う閉塞感~生きづらさの正体~
冒頭にも書きましたが、僕はこの学習性無力感が貧困、うつ病、過労死など、日本の社会問題に大きく関係していると思えてなりません。
- 「頑張って勉強しても幸せになんかなれないじゃないか」
- 「どうせ頑張って働いても仕事や責任が増えるだけで給料は増えないんだったら今のままでいい」
- 「何度面接を受けてもブランクがある限り自分なんてどこにも就職できない」
- 「もうこんな歳なんだから何をしても無駄だ」
- 「自分は病気なんだから生きているだけでみんなに迷惑がかかる。いっそ死んだ方がマシだ」
こう思ったことはあなたも一度はあるのではないでしょうか?
現代の日本社会では、仕事や日常生活で求められる能力が高すぎだし、そのレベルも高すぎると誰もが心の中でなんとなく感じているはず。
でもそれが「普通」や「常識」として基準にされている。
僕たち現代人は表には出さないけれど、心の中で、
「自分はこんなにも頑張っているのに、どうして認めてくれないんだ?」
と常日頃から思っている人がたくさんいると思うんです。
このような状況下では、常に僕らは上記の実験の犬と同じ、学習性無力感の状態に陥っているのではないでしょうか?
学習性無力感から抜け出すためには?
では、どうすればこのような学習性無力感から抜け出すことができるのでしょうか?
上記の実験で犬は「自分の身体には常に鎖がつながれている状態」だとずっと認識していたため逃げることをしなかったのだから、その考え方が自分にとって本当に良い効果をもたらすのかどうか振り返って考えてみることが必要だと思うんです。
「常識」や「正論」を無視して自分の鎖を自分で外す
人間というのはこれまで生きてきてさまざまな経験を積むことで、いつのまにか最もらしい「常識」や「正論」を身に着け、それを前提としてものごとを判断する傾向があります。
ですが、あなたが「常識」や「正論」と思っているものは、あなた自身が幸せになるために必ずしも役に立っているものですか?
例えば、
- 「偏差値の高い学校に進学して有名な大企業に就職すべきだ」
- 「大人になったら週5日しっかり働くのが当然だ」
- 「フリーターではなく絶対に正社員になるべきだ」
- 「就職したら車を買って、結婚し、子どもを作って、マイホームを買うのが幸せへの道だ」
- 「病人は外へは出ずにおとなしく家で寝ておくべきだ」
ちょっと例を挙げてみるだけで僕自身がしんどくなってきそうなのでこれぐらいにしておきますが、今現在、あなた自身が「常識」や「正論」と思っているものが逆にあなたの生きにくさの増強装置となり、生きることに疲れているのならば、その常識や正論は一度忘れてなかったことにしてしまいましょう。
学習性無力感から抜け出す第一のポイント、それはまず、自分が「常識」や「正論」という鎖につながれているということを認識することです。
ここで大切なことはそれが「正しいか間違っているか」で判断するのではなく、それが自分にとって「好きか嫌いか」で判断して、「こっちの方が好き」「これをしている方が楽しい」と思う事柄を自分で選んでいくことです。
仮に、他の誰かから「正しいから言うことを聞きなさい」と言われたとしても、それに従う必要はありません。
正しいだけの意見なら誰でも言えますし、その根拠が「それが普通だから」「そうするのが当たり前だから」だとすれば「常識という仮面を被った暴論」ですからね。
そもそも「常識」なんてものは「法律」ではないですし、その時代によって変わるものですので、そんなのに従う必要はどこにもないんです。
僕は法に触れなければ何をしてもOKだと思って生きています。
自分で自分自身を認めてあげる
それともう一つ、学習性無力感から抜け出すためには自己肯定感が大切だと思うんです。
実験の犬は鎖につながれていなくても「どうせ自分は何をしても無駄」だと思っていたから、もっと言うと、自己肯定感が低かったから、電気ショックから抜け出そうとしなかったのです。
だから鎖が外れたときに、
「自分は電気ショックを受けるような悪いことはしていない、こんな仕打ちをされる理由はどこにもない、これはおかしい!!」
とすぐに異変を異変と気付き、逃げることができる体制を整えることが必要だと思うんです。
ブラック企業で違法な働き方をしている人で、最初はおかしいと思っていても、そのうちブラックな環境が当たり前となって、おかしいと声を上げることすらできず、うつ病など精神疾患になってしまうというのは、まさに学習性無力感の影響だと僕は思います。
そのために、僕は自分で自分を認めてあげる自己肯定感が必要だと考えます。
自己肯定感を高めるには他人からの評価ではなく、自分で自分を褒めてあげると効果があると思います。
例えば、
「今日も朝、ちゃんと起きれた」とか「会社に行けてる」とか「仕事のメールに返信できた」など、それはどんなに小さいことでもいいと思います。
そう言うと、あなたは
「そんな当たり前のこと、みんなもやってるし、大したことじゃないじゃないか。そんなの褒めても意味ないじゃないか」
と思ったかもしれません。
しかしそれは本当に大したことのない当たり前のことなのでしょうか?
あなたが当たり前だと思っていることが大したことじゃないと一体誰が決めたんですか?
親?先生?友達?上司?同僚?先輩?それとも法律??
それにあなたはちゃんとした理由を答えることができますか?
「大したことがない」と思うのは「みんなが普通にやっていることはできて当たり前だ」という常識や正論に縛られているだけではありませんか?
いつのまにか見えない鎖につながれていませんか?
毎朝、決まった時間に起きれて、満員電車に乗って通勤・通学できて、仕事や友達のメールにちゃんと返信できて、・・・
うつ病の療養中でどれもできない僕からすると、それってかなりすごいことだと思います。僕はあなたを尊敬します。
だから、誰も褒めてくれないのならば自分で自分を褒めて自分のことを認めてあげましょう。
そうすることが幸せへの近道なのではないかと僕は思います。
参考人生の再スタートに一番重要なことは自分を許してあげることだと思う
最後に
今回は学習性無力感の実験から、人が生きづらさを抱える要因とその対処法について考えてみました。
最後に僕自身のことですが、うつ病になる前は「正社員にならないと人生終わり」と思っていました。
ですが、うつ病になってしばらくした後は、別に正社員にならなくても人生終わりなんかじゃないし、今の自分にやれることを無理せずにちょっとずつやっていけばいいんだと思ってブログを書き続けていると、生きづらさを感じることも少なくなりました。
と、それと同時に僕にとっては不要どころか害悪であるたくさんの「常識」や「正論」に縛られてこれまで生きてきたんだなあという反省というか新たな気づきもありました。
ですので、生きているだけで辛い人は、まずは「常識」や「正論」の鎖を外し、自分自身の判断基準を「常識」や「正論」から「好きか嫌いか」「楽しいか楽しくないか」に変えてみることをおすすめします。
結局、人間が幸せを感じるのは嫌なことではなく、自分の好きなことや楽しいことですからね。
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