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こんにちは。うつ病ブロガーの大ちゃんです。
うつ病になって外で働けない人は、たとえ周りの人が「生きているだけで十分価値があるよ。」と言ってくれても、
「こんな自分に価値なんてあるわけないし、価値を生み出すものなんて何もない・・・。」
と思っている人が多いと思うんです。
僕もうつ病になってすぐの、働けないときは常にそう思っていたので、その気持ちも良くわかるのですが、今は僕はこう思うんです。
「自分に価値がないなんて、いったいどこの誰が決めたの?」と。
今回は、うつ病など精神疾患で働けなくて「自分に価値がない」と思うのは、全てあなたの思い込みであるということを知ってもらいたいと思い、記事を書いていきます。
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目次
「自分には絶対に価値がない」っていったいどこの誰から言われたの?
「自分なんて生きている価値などない」と思っている人は、まず、この「価値がない」っていうのは一体どこの誰から言われたのか一度よく考えてほしいです。
僕もあなたも、普段、街を歩いていて、道行く人々に面と向かって「お前なんて生きている価値がない!!」なんて言われた経験なんて、一度もないと思うんです。
そんなこと言っても、親や会社の上司等、目上の人にそんなニュアンスの言葉を投げかけられた経験は確かにあるのかもしれませんが、それでも、その言葉には、「あなたに価値がない」という絶対的な裏付けや明確な根拠がないもので、感情に任せて出てきた言葉が大半だと思います。
また、「価値がない!」って言われた原因が「勉強ができない」、「仕事がちゃんとできていない」ということが理由だとしても、なぜ「勉強や仕事がちょっとできないくらい」で、それイコール「生きている価値がない」に結び付けられるのでしょうか?
僕はここにいささか疑問を感じます。
よく、就職活動中の人が選考に落ちまくってうつ病になったという話もありますが、それはただ単に選考を受けた会社との相性が悪かっただけであって、その人自身の価値がないという証明にはどう考えてもなりませんよね。
他の誰かが言う「価値がない」はあくまでその人の基準でしかない
人間というものは、あくまでそれぞれの個人がこれまで生きてきた人生の中での経験に基づく判断軸や評価軸でものごとの判別や良し悪しを判断します。
ですので、その判断や基準というものは人それぞれ、千差万別ではありますが、その判断は完全に正しいとは言えず、あくまで「その人にとっては」正しいということだけです。
だから、例えば、
- 人によっては、勉強ができないだけで価値がないダメ人間だと決めつける人がいるかもしれないし、
- 人によっては、どんな状況においても上からの命令のとおりに従って仕事ができる人間だけが価値があると考えている人間がいるかもしれないし、
- 人によっては、朝起きれなくて毎日遅刻をしていたとしても、成果さえあげられれば価値があると思う人間もいるかもしれません。
という風に、その「価値がある」「価値がない」なんてのは、ただ個人が主観で思っている、いわば思い込みみたいなもので、それが絶対的な真実ではないわけです。
だけれども、人間ってそういうのを繰り返し聞かされていると、それが真実であるかのように思い込んでしまう傾向があります。
つまり、「自分には価値がない」と思ってここまで読んできたあなたは、他人の思い込みによって、あたかも真実であるかのように思い込まされていただけなんです。
だから、周りの環境さえ変われば、あなたにはすごい価値があるかもしれません。
学生時代には価値がないと言われ続けていた人が、社会人になるとすごい活躍していて引っ張りだこになっているという話は良く聞きますし、もちろん、その逆も然りだと思います。
そもそも人は生まれてきただけで価値を提供している
さらに、僕ら人間はそんな複雑なことを考えなくても、生まれた時点で誰もが価値を生んでいることに嫌でもなっているんです。
赤ちゃんは、周囲の大人に対して、幸福という価値をばらまいています。
どういうことかと言うと、そばに赤ちゃんがいるだけで、その親はもちろん、家族の癒しになったり、家族や親戚の絆をより強くしたり、周囲との人間関係を円滑なものにしたりなど、僕ら人間は産まれたその日から、ちゃんと家族をはじめとした周りの大人に価値提供ができています。
もちろん、中には生まれながらにして病気や障害を持っているなどで、純粋な喜びとして迎えられなかった不運な赤ちゃんもいるかもしれませんが、そういう赤ちゃんでも、産まれた瞬間に「産まれてくるんじゃねーよ!!」なんていうことはないと思います。
そうであるならば、そもそも産むという選択はしないはずですからね。
このように僕ら人間というものは、生まれたその日から周りの人に喜びや癒しなどの価値提供をしています。
生まれた瞬間から、ひとりでは生きていけないその時から誰もが価値を提供している僕ら人間が、大人になって成長し続けている間に価値がだんだんなくなっていくことは僕はありえないと思うんです。
だって大きくなった僕もあなたも、赤ちゃんのときより一人でできるようになったことが増えているのは間違いないからです。
少なくとも生まれたばかりの赤ちゃんはスマホもパソコンも使えないし、そもそもこんな文章を読んで意味を理解することができないですからね。
人間、生きているだけで誰しも価値を蓄積していく
僕もあなたも含めて、人間というものはこの世に生を受けてから、周りの人に支えられながら数年かけて成長していきます。
そんな成長の過程において、良いことも悪いこともいろいろ経験して皆、大人になっていきます。
それでも家庭環境は然り、通う学校も群れる友達も異なるので、こうやって成長する過程というものはもちろん人それぞれ異なっているし、誰ひとりとして全く同じ人生というのはありえない話です。
生まれてきた時代も、住んでいる場所も、環境も、僕とあなたでは何もかも違います。
逆にいうと、「自分にはできるし、どってことないことだけれども、それができなくて経験したことさえない人」というのは必ずいるわけです。
そういう差があるだけで、あなたに価値がないということは絶対にないと僕は思うわけです。
あなたが毎朝決まった時間に起きれて一度も遅刻をしたことがない人ならば、朝に弱くて遅刻ばかりしている人にアドバイスをすることもできるでしょう。
あなたが機械に強くて修理もできる人ならば、機械に弱くて操作に困っている人に操作方法を教えることもできます。
あなたが地図を読むのが得意でその場所がいつも通勤している場所ならば、そこで道に迷っている人の役に立つこともできます。
だからあなたが生きている価値がないというのは絶対にありえないわけです。
あなたが自分に価値がないと思ってしまっているのは、ただ単に自分で自分をそう思い込ませているだけで、一種の洗脳のようなものだと僕は思います。
あなたにとっての当たり前も、他人にとっての当たり前も、全て当たり前ではない
これまで見てきたとおり、人の価値観は人それぞれです。
そしてその価値観にはどれも「絶対に正しいということ」はありえないわけです。
人間の価値観というものはこれまでにどんな人生を歩んできたかによって形作られるものなんだから、あなたと全く異なった人生を歩んできた人間が、全く同じ価値観で生きているということは100%ないわけです。
だからといって、どれが正しくてどれが間違っているなんていうことは絶対にないのです。
もっと言うと、誰かの当たり前はあなたにとっての当たり前ではないですし、あなたの当たり前も他人にとっては当たり前ではないということ。
ですので、仮に誰かから「価値がない!」と言われても、それは正しくないし、裏を返せば価値があるということで、あなたが「自分には価値がない!」と思っていても、他の人からするとあなたは価値がある人間だということになるんです。
要はあなたが「自分には価値がない」というのは全て思い込みであって、人間って生きているだけで価値があるし、それはあなたにも例外はなく当てはまるのであなたには価値があるっていうことです。
だから変な自己暗示を自分で解いてあげて、「自分には価値がない…」と思っている人は「自分って今まで分かっていなかっただけで、本当はすげー価値があるんじゃね?」とポジティブに考えてみることから始めてみてはいかがでしょうか?
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