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こんにちは。うつ病ブロガーのだいだいです。
僕は学生時代から電車で通学していて、社会人として働いていた時も電車通勤をしていたのですが、長距離通学・通勤ということもあり、まあまあの頻度で人身事故や車両トラブルなどにより電車の運休や遅延に遭遇しました。
学生の頃は「また事故かー。しょうがないなあー。運転が再開されるまで待つしなかい。」というように考えていました。
講義やアルバイトがあるときでも「不可抗力だし仕方がない。」と思っていました。
ところが社会人になって働き始め、出勤時に電車の遅れに遭遇したときは「お客さんや取引先、上司に迷惑がかかると思い、なんとしても遅刻してはいけない」と思いイライラしていました。
今回はそんな僕の経験から社会のあるべき姿について考えてみようと思います。
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目次
余裕のなさと責任感が秩序を壊す

悪気があるのにルール違反
会社に勤めていたある日、僕は人身事故の影響により電車が遅れ、職場に遅刻しそうになりました。
僕がその時勤めていた業界は仕事柄時間に厳しい業界で、少しでも遅れると仕事が成り立たなくなり取引先や同僚に迷惑がかかるという仕事でした。
電車が遅れていて込み合う車内。
そこで僕は会社に「○○分ほど遅れる可能性がある。」ということを伝えようと電話をしたのです。
電車内では他のお客さんに迷惑となるので通話は禁止されています。
もちろん通話が禁止されていることは僕もわかっていました。
しかし電車を降りて連絡すると次に来る電車はいつか分からないし、そんなことをしてしいると完全に遅刻してしまう。
「数秒ぐらいだし別にいいだろう。仕事に遅れると大変だ。仕事の方が大事だ。」と。
すると車内で電話をしている僕のもとへ60代ぐらいのおじいさんが注意をしたのです。
「車内で通話はしてはいけない。」と。
今考えるとこのおじいさんの言うことは正しいことですし、悪いのは100%他の乗客に迷惑をかけている僕のはずです。
しかし当時の僕は「電車が遅れて自分が遅刻する可能性を会社に伝える」ことが「他のお客さんに迷惑をかけること」より優先だと思っていたのです。
本当は「迷惑をおかけしてすみませんでした。」と謝らなければならない立場であるのに、その時の僕はこちらが正しいかのような態度で「くそジジイ!こんな時なんだからちょっとぐらいいいじゃないか、心が狭いなー」と逆に心の中でムッとしていました。
完全に僕が悪いにもかかわらず自分が行った行為を逆に正当化しようとしていたのです。
今振り返ると僕のこの行為は本当に恥ずかしい行為ですが、この時の僕のように似た経験をされた方は大勢いらっしゃるのではないでしょうか
電車内で通話をすることが迷惑だと知らなかったわけではない。
ではなぜ当時の僕はルール違反まで犯して電話をする必要があったのでしょうか。
不寛容社会が生む余裕のなさと責任感
本来、この時僕は堂々と遅刻をしてよかったはずです。
冒頭に書いた通り電車が遅れるのは不可抗力であって仕方のないことです。
しかし当時の僕は何が何でも遅刻はしてはいけないと思っていました。
「電車が止まっていたので遅刻しました。」
取引先や会社の上司には堂々とこう言うべきです。
と言うかこれを簡単に言える社会にするべきです。
なぜこれが許されないのでしょうか。
電車が遅れたにもかかわらず遅刻したのは本人が悪いとする風潮。
日本にある全ての会社がそうであるとは思いませんが、ほとんどの会社はこのように個々の社員に自己責任として押し付ける風潮があるのではないでしょうか。
こう書くと特に会社の経営者からは「お前がいなかったら仕事が回らない」と批判がきそうですが、僕は1人の労働者がいないだけで仕事が回らないような環境や仕組みを作っている経営者・管理職が悪いと思います。
その責任を「社会人だから遅刻は何があっても厳禁」というような命令で上司は部下の社員に責任を転嫁して押し付ける。
そしてその責任感によって上記の僕のように秩序やルールを破り他人に迷惑をかけ、その行為を正当化する人がでてくる。
こんな人が増えるとルールもマナーも成り立ちません。
これはどう考えてもおかしいと僕は思うのです。
「何事も責任を持って仕事をする。」
これ自体は悪いことではありませんが、仕事は「他人に迷惑がかかるからと言って別の関係のない人にまで迷惑をかけてまで行うものではないはず」です。
広い心で
今この日本社会に足りないものは「心の余裕」だと僕は思っています。
僕は電車内で通話をしている人に遭遇したら「車内で通話をしなければならないほど仕事に追い詰められているんだな」と気の毒に思いながら見てますが、全ての人が「時間的」そして「精神的」にゆとりを持って生活ができる社会が来るといいなと思います。
特に過去の僕のように、仕事の都合により「心の余裕」を持つことができない人が増えてきていると感じます。
長時間労働などで心の余裕を持ちたくても持てない人は一度自分の仕事を考え直してみるのもいいかもしれません。
人は心に余裕を持ち、広い心を持つことで初めて他人に優しくできるものだと僕は思います。
そしてそのような人々が増えることで社会がより良いものになっていくのではないかと僕は感じています。
最後までお読みいただきありがとうございました。