【はじめましての方へ】まずはじめに読んでほしい記事10選
スポンサーリンク

「マイナスを0にすること」について

考え方
この記事は約6分で読めます。

こんにちは。うつ病ブロガーの大ちゃんです。

僕がうつ病になって早3年半。

そしてブログを書き始めて3年。

僕はいつになったら「0をプラスにするスタートライン」に立てるのか?

ここ最近、体調の悪い僕はこんなことを強く思う。

「マイナスを0にすることってどうしてこんなに大変なんだろうか?」

「ただ幸せに生きていきたいだけなのに」

ということを。

スポンサーリンク

人間って生きているだけでお金がかかる【生命維持費】

うつ病になったことでこれまでの生活が大きく変わったのだが、それ以上に大きく変わったのが僕の「お金」に対する価値観。

僕がつくづく思うのは、「人間って生きていくだけでお金がかかる」ということ。

ここでは「生命維持費」とでも言っておこうか。

うつ病になったことでこれまで勤めていた会社を退職せざるを得なくなったのだが、もちろんうつ病で仕事ができないので次の月からは収入が0となってしまった。

僕は幸いにも実家暮らしで貯金もあったので、すぐには「食べていくものがない」というギリギリの状態にはならなかったが、当然、人が生きていくためにはご飯を食べないといけないし、住むところも必要だし、食料を手に入れるにも、住む場所を確保するためにもお金がかかる。

さらにはそれに加え、健康保険料や年金・税金なども支払わないといけないので、うつ病で働けなくなったときに僕は初めて「ただ生きるだけで毎月こんなにもお金がかかるなんて思わなかった」と、人が生きていくために最低限必要なお金がこんなに必要なんだと改めて思い知らされることとなった。

「たしか憲法では最低限の生活が保障されているはずなのに、なんで最低限生きるためのお金は国が支給してくれないのだろうか?」

「そもそも、遊びもせず、贅沢な生活を望んでいるわけでもなく、ただ生きていくだけなのに、なぜこんなにもお金がかかるのだろう?」

それに加え、うつ病の診察や投薬にもお金がかかる。

こうやってうつ病で無収入となったことが原因で、僕の「お金」に対する価値観は変わっていって、次第に僕はお金を使うことがものすごく怖くなってしまった

なぜなら、お金は自分の命そのものだから。

自分の預金残高の額は「あと、自分がだいたいどれくらい生きられるのかを示すライフポイント」だから。

いくら節約に走って支出を最低限に抑えたからって、完全に0にはできない。

人間ってやっぱり生きているだけで生命を維持するためのお金がかかる。

そして月に10万円どころか1万円のベーシックインカムさえない今の日本の制度では、誰もその「生命維持費」を保障してくれない。

だから生きていくためには自分の力でお金を稼がなければいけない。

そんな、「生命維持費」という当たり前のことを、僕はうつ病・無職になって初めて思い知らされたのだ。

僕がお金を稼ぐ第一の目的は「マイナスを0にすること」

そんなうつ病での療養中、僕はブログやアフィリエイトを始めてお金を稼ぎ始めた。

始めのうちは月に1万円どころか1,000円も稼げなかったが、続けていくうちに3,000円、5,000円・・・と、だんだんと収益も増えてきて、3年目にはひと月に15万円を稼ぐことに成功した月もあった。

療養中にブログやアフィリエイトを頑張ったおかげで、働かなくても毎月ある程度のお金は稼げるようになった。

ただ、毎月15万円を安定して稼げるようになったかというとそうではなくて、僕が現在稼いでいる額は平均にすると月5万円程度。

これじゃあ、たしかに「食べていくことだけ」ならできるかもしれないが、住居の維持、そして税金の支払いを考えると、とてもじゃないけど自分一人では生きていけない。

だから、僕は当面の間は「自分が一人で生きていくために」お金を稼いでいくことになる。

最低限の食糧と住居の確保、それに、国民の義務である税金を納めること

これが「マイナスを0にすること」であって、僕がお金を稼ぐ第一の目的でもある。

これが達成されてはじめて僕は「自分のためでなく、他の誰かのために頑張るためのスタート地点に立てるのだろうな」と思うのである。

家事だって「マイナスを0にすること」

思えば、家事だって「マイナスを0にすること」だと思う。

うつ病になって退職し、病気が回復してきてからは、そんな家事をすることが増えてきた。

実際にやってみて改めて分かったことだが、家事にもいろいろな家事があって、家政婦や清掃員として雇われて他の家や施設の家事をするとなったら別だが、家事って基本無給だ。

例えば、洗濯、掃除、買い物、料理、などなど・・・

しかも、やってみると分かるが、家事って思った以上に重労働で時間もかかる。

だけど家事は「ちゃんとしていて当たり前」という部分が大きい。

例えば、「汚れたお皿を洗う」といった行為も、「服を洗濯し干してから入れてたたむ」といった行為も、全部「マイナスを0にする行為」。

そこには、仕事と同じ「時間」「労力」が費やされていて、「お皿がきれいになった」、「服がきれいになった」という価値が生まれているはずなのにもかかわらず、「家事を頑張った」という達成感は感じられにくい。

しかも、例えば皿洗いにおいて、汚れたお皿が10枚あったとして、8枚洗って綺麗にしても、「8枚も洗ったんだ」とはならずに「まだ2枚残っている」と思ってしまう。

では、なぜそう思ってしまうのかというと、家事は「マイナスを0にすること」だから。

通常の仕事なら「0を8にすること」「8も結果を出してすごい!」となるが、同じ「8」の作業量でも、家事の場合、「-10を-2にすること」になるから、完璧に「0」にしないと、「まだ2も余っていてマイナスじゃないか」と逆に怒られてしまう。

おまけに家事は基本、無給だから、給料が発生する仕事と比べると、同じ時間と労力を費やしているとしたら、本来は家事の方がすごいことであるはずなのにもかかわらず。

このように、「マイナスを0にすること」ってすごい大切なことなのに、しかも、すごい大変なことなのに、それは可視化されにくいので、多くの人はそんな「当たり前の大切さ」に気づかない。

だから「家事ぐらい誰にでもできるだろ」と軽んじて見られてしまう。

そしてさらに、家事をするような「マイナスを0にする人」のおかげで、仕事をする「0をプラスにする人」が存在できるはずなのに、「マイナスを0にする人」よりも「0をプラスにする人」の方が評価されてしまう。

〈最後に〉生きているだけで誰であっても偉い

だけど僕は人間って誰であっても「生きているだけで十分偉い」と思う。

中には「自分は働けなくてダメ人間だ」とか「自分は生きている価値のない迷惑な存在だ」と思っている人もいるかもしれないが、上記で見てきたとおり、人は誰であっても「生きている=マイナスを0にしようと努力している」んだから、僕は誰であっても今日も死なずに生きているだけで十分偉いと思うわけ。

こんな風に、「今日も自分はちゃんと生きていてえらい」と自己肯定できれば、人は誰でも幸せに生きていけるのになあと僕は思う。

そしてそれと同時に生きていくためにお金がかからなくなるか、それをちゃんと国が保障して、誰もが「生命維持費」を気にすることなく生きていける社会になれば、人は真の意味で他の誰かのために全力で頑張ることができるようになるのになあと僕は思う。

この記事を読んだ人はこちらの記事も読んでいます

★この記事は参考になりましたか?
  • 参考になった (5)
  • 参考にならなかった (0)
  • どちらでもない (0)
プッシュ通知を

コメント

タイトルとURLをコピーしました