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こんにちは。うつ病ブロガーのだいだいです。
「お前のために言ってやってんだぞ!」
あなたはこのような言葉を聞いたり、逆に自分が言ってしまったりしていませんか?
これは僕の父のことです。
僕の父は昔から口癖のように母(父の妻)や家族に言っていました。
「あなたのために頑張ってあげている」
この言葉を自分を奮い立たせるために心の中でつぶやくのは個人の勝手ですが、僕はこの言葉は自分以外の人には絶対に口にしてはいけない言葉なんだと今は強く思うわけです。
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目次
誰かのために頑張る「自分」に酔っている

家族や友達など他の誰かを喜ばせたくて仕事など何か物事に一生懸命取り組むということはよくあることだと思います。
たとえば、結婚して家族を持っている会社員であれば「妻(夫)や子どものために」と仕事や家族サービスに力を入れて頑張ろうとすると思います。
この場合、建前では「俺(私)は家族のために頑張るぞ!」と、家族のために頑張っているようにも見えますが、これは実は、家族の喜ぶ顔を見て自分がいい気持ちになりたいだけなのです。
もちろん、自分に酔うだけの目的のみで言っている人は少ないと思いますが、人は「あなたのために…」と言っていても、その中身は人によって割合は違えど、多かれ少なかれ結局はその何%かは「自分のために」取り組んでいるものです。
そうすると「家族のために頑張ってあげている」の中身の何割かは「家族を3人も養っている俺(私)ってすげーカッコいい!」と自分に酔っているか、周囲に「家族のために頑張っている俺(私)ってすげー偉いんだから、もっともっと自分を褒めて!」と認めてもらいたいだけだ、という見方もできるのではないでしょうか。
このように「お前のために…」と言う人は、頑張っている自分を否定されないための言い訳をしているだけかもしれないですね。
誰かのために頑張っても必ずしも喜ばれるとは限らない
誰かのためではなく自分のために頑張っていることが前提で、それが誰かに喜んでくれることにもつながると「一石二鳥でラッキー!」という感じでこの上ない喜びを味わうことができますね。
この場合、たとえ誰かが喜んでくれなかったとしても、自分が気持ちいいのでそれはそれでよしとなります。
ちなみに僕はこのブログを「誰かの役に立つこと」を意識して書いていますが、誰かのためだけではなく、ブログを成長させてお金を稼ぐことや、ブログから仕事につなげるなどの自己実現、つまり自分のためにも書いているため、別に頑張って書いた記事があまり読まれなくても、自己実現につながりさえすれば全然OKなわけです。
(※もちろん僕が書いた文章が誰かの役に立つことができれば僕にとってはこの上ない幸せなことです。)
しかし、誰かのために頑張ることばかり考えていると、自分が思うような成果を出せなかった場合に「あなたのためを思って自分はこんなにも頑張ってきたのに…」と他者を前提とした思考に変わってしまいます。
そんな時、つい、
「お前のために俺はここまで頑張ってきたんだぞ!」
とあなたが言ってしまうと、それを言われた人とあなたとの関係は、ぎくしゃくした関係になってしまうことでしょう。
「あなたのために頑張っている」というのは口に出してしまうと、言われる相手はそれを言った人がすごい偽善や独善で言っているようなイメージを抱きやすいです。
僕は子どもの頃から父に何度も言われていたので、これを言われる度にイライラしていました。
ホンネでは、
「別に頼んでねぇーよ。頼みたいことがあるならこっちから言うから」
って感じです。
さらにこれを言ったら自分の存在を否定することにもなってしまいそうですが、ここまで書いたのでこの際ついでに書いておこうと思います。
「そもそも生んでくれって頼んで生まれてきたわけじゃないわ!!」
と。
もっというと、
「子どものためにやりたいことを我慢してストレスになり、それが原因で子どもや家族に八つ当たりや虐待をするぐらいならば、子どもなんて最初っから生むなよ!結婚なんて最初っからするなよ!」
って感じです。
すみません。話が飛躍して完全に僕の愚痴になってしまいましたが、あなたも「お前のために○○してやった」なんて言われたくありませんよね。
これってすごい恩義がましく聞こえますし、何回も何回も言われて「マジでウザい」と思っている人も多いと思います。
僕の父の父である祖父も、こちらが頼んでもいない不要なプレゼントを持ってきて、「お前のためにしてやった、してやった」と言ってよく自慢するのですが、「誰も頼んでねーよ。」という感じで、そう言われる度に辟易していました。
このように、誰かのためにと思ってやったことでもそれは必ずしも喜ばれるとは限らず、逆にそれが相手からすると「ありがた迷惑」になっているかもしれないのです。
そもそも誰も期待なんてしていない
「あなたのために頑張っているんだ」と口癖のように言う人は、自分にしかその仕事はできないと思いがちなんです。
言ってみれば別に家族を養うことなんて、「お金があれば誰にでもできる代替可能なもの」なんです。
少しさびしい考えだな、と思う人がいるかもしれませんが、パートナーがATM代わりと残念な関係になっている人もこの世にはいるぐらいで、要はあなたがどんな仕事をしてどんな思いで給料を得ているのかは家族には関係なく、ただ銀行口座に家族が暮らせる分のお金を用意することさえできればそれでOKだということです。
そもそも誰もあなたに期待なんてしていません。
残酷な現実かどうかは分かりませんが、実際これを読んでいるあなたも、これを書いている僕も、未来永劫にわたり、名前や功績が語り続けられるといったことはないでしょう。
仮に総理大臣になったとしても、歴代の総理大臣のフルネームを全て間違いなくすらすら言えて、その上どんな功績があるのか言える人なんて、クイズ番組に出るような人だけの数えるぐらいの人数しかいませんからね。(僕ももちろん言えません。)
このように、たとえ総理大臣になったとしても、その他大勢に埋もれてしまうのです。
そのため、誰かのために頑張るなんて周囲はぶっちゃけすごくウザったく感じていますし、実際はおごましいにも程があるといったところでしょう。
あなたが他の誰にも到底真似することができない特技やスキルを持っているのであれば別ですが、そうでなければ家族や友達でも他人はたいてい「大して力があるわけでもないし、他人と違って特にすごくもないくせに、偉そうにしてんじゃねーよ!」と思うわけです。
まあ仮に特技や能力があったにしても、それをやたらと自慢する人は嫉妬されてしまいますからね。
最後に【自分のために頑張ろう】
このように、この世の中の誰もが他の誰かになんて期待はしていません。
期待したとしても、それはその期待さえも自分のために期待しているだけなのです。
だとすると、この世の他人に対する期待なんて全部自己欺瞞だと思った方が気が楽です。
その人に期待することで自分にとって何か見返りがあると思っているから人は人に期待するのです。
これは別に自分が誰からも期待されていない無価値な人間だとネガティブに考えるものではありません。
そもそも人間は自分のためにしか頑張らないし、とどのつまり自分のためにしか生きていないということです。
走っている電車に人が飛び込んでも、近所の道端にゴミが散乱していようとも「こりゃあ大変だ!」と思いすぐに駆けつける人は少数派ですよね。
逆に人身事故により電車が遅れるのならば「気の毒に、生きるのが辛かったんだな。」と思うよりも「遅刻するしすんげぇ迷惑なんだけど。それに死ぬなら人に迷惑がかからないところで死ねよ。」と思う人が大半です。
人間とはそういうものです。
僕は自分が幸せでないのに人を幸せにすることなんてできるわけがないと思うのです。
あなたが生活苦の人、例えばホームレスの人からお金を寄付してもらっても普通は嬉しいとは思わないでしょ?
逆に「自分がホームレスに寄付をしてあげないと気の毒だ」とほとんどの人はそう思うはずです。
自分を幸せにすることができて人は初めて他人に幸せを施すことができる生き物なのではないでしょうか。
だから決して家族や友達など、他人のためではなく自分自身のために頑張りましょう。自分のために自分の人生を生きましょう。
今回のお話は以上です。
最後までお読みいただきありがとうございました。