悔しい、悔しい、悔しい、悔しい、悔しい、悔しい。
先日、2017年7月20日のニュースで新卒の23歳の男性が過労で死亡したという報道がありました。
【新国立工事 23歳が過労自殺か】新国立競技場の建設工事で現場監督だった23歳男性が長野県で遺体で発見され、自殺と判断された。自殺直前の1カ月の時間外労働は211時間56分。両親は労災認定を申請した。 https://t.co/zHRRSJEi2L
— Yahoo!ニュース (@YahooNewsTopics) 2017年7月20日
過去に電通の過労自殺事件もあったにもかかわらず、そして僕自身も新卒で働き始めた会社でうつ病になって自殺をしかけた経験があったせいでもあるのか、この報道の男性には会ったことさえない他人だけれども、歳も近くてとても他人事とは思えなく、僕はすごくすごく悔しい気持ちになりました。
もし、亡くなった彼が僕のブログの記事を読んで少しでも「こんな考え方や働き方もあるんだ」と思ってくれたら…
もし、僕が一人で暮らせるぐらいもっともっと稼いでいて、彼が「自分にも真似できるかも」と少しでも死を選ぶ前に勇気を与えることができたなら・・・
インターネットの普及で会ったことのない人ともやり取りができるようになった、そんな時代だけに、そういうことを思うと余計に悔しくて悔しくてたまらなくて、とてもとてもやるせない気持ちになりました。
僕はブログを1年以上続けて書いてきて、このブログは毎日何千人もの人に見てもらえるようになりました。
この中に亡くなった彼がいたのかどうかは僕には分かりませんが、もし彼が見ていたにもかかわらず、彼が命を落とす選択をしたのならばそれは僕の力不足であったと思わざるを得ないのです。
このブログにはアクセス解析を入れていて、毎日寝る前にアクセス数を見て解析をしたり自己満足に陶酔したりするのが僕の日課です。
そしてこのブログには僕がうつ病になって会社を退職した経験もそのまま記事に書いています。
その記事はただその時の時系列をまとめた日記であるのにもかかわらず、日に30~50回、月にすると1,000回近くも見られていて、僕はアクセスが増えて嬉しいと思うよりも、「こんなにうつ病や仕事で悩んでいる人が多いのか」と思ってしまい、ほんとにやるせないというか、「何とかできないのか」という、いたたまれない気持ちになるのです。
仕事で人生狂わされるなんて間違っている。
過労で死ぬ社会なんておかしい。
誰もが幸せに働くことができる、そんな当たり前の社会を実現することはできないのか?
電通のときもそうだったけど、僕はもうこんなニュースは聞きたくない。
だから僕はこれからもブログを書き続ける。
僕はこれからもブログを書き続けて、一人で暮らせるようになるぐらいのお金を稼げるようになることで、より多くの人にいろんな働き方の選択肢があることを知ってもらい、今回の彼と同じように仕事に苦しめられている人や過去の僕のように絶望に打ちひしがれている境遇の人に希望を与えられる存在になりたい。
僕が生きている間に誰もが幸せに働くことができる社会、少なくとも“過労死”という言葉が死語になっていなければ僕は死んでも死にきれない。
無職でうつ病でも、そしてどれだけ綺麗事で自惚れだと言われても、命がある限り、ブログが書ける限り、自分にできることはやりたい、いや、絶対やってみせる。
今回の過労死のニュースを知って悔しいと思うと同時にそういう想いがよりいっそう強くなりました。
この過労自殺で失った命を無駄にしないためにも、過労死をなくしてより多くの人が幸せに働くことができる社会を実現するために僕は生きたい。
だから僕はこれからもブログを書き続ける。
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