日本に生まれただけでこんなに恵まれているということに気付いた話

超ラッキー!?

こんにちは。うつ病ブロガーのだいだいです。

誰でもそうだと思いますが、「自分が恵まれた立場でいる」ということはなかなか自分では自覚できないものだと思います。

住む家があって着る服があって食べるものがあって、そういうものが満たされていても他の悩みごとばかり考えてしまい、そんなのは当たり前のことだと思ってしまうからです。

でもそれはあなたが高すぎる目標を設定しているからかもしれません。

それは一体どういうことでしょう?

今回はそんな当たり前の幸せをちょっと大きな目線で考え直してみようと思います。

目次

自分はどれくらい恵まれているか?

今日の夕食を選べる人の割合

世界の人口は2017年現在で70億人以上です。

そのうち、「今日の夕飯は何にする?」といえるような人は70億人中、14億人程度だけなんです。

これは世界の一部の富裕層とアメリカや日本など先進国の人だけです。

だいたい5人に1人の計算で、残りの人たちには「今日の夕食」に選択肢があることはないのです。

雇用形態の男女比

この国日本において、正規・非正規合わせた労働者(全雇用者)のうち、正規雇用の男性は約5割近くなのに対して、正規雇用の女性は2割程度にとどまっています。

逆に非正規雇用の労働者のうち約7割は女性です。

男性と女性の割合はだいたい半々なので、世界人口の70億人のうち、日本を含めた「先進国の男性」というのは7億人しかいないということです。

ということは、この日本で男性として生まれただけで世界のトップ10%に入るとても「恵まれた人たち」なんです。

僕はうつ病で無職なので、約5割の男性正社員には入らないんだけれど、日本で生まれたというだけで14億人には入っています。

これまで今日明日食べることに悩んだことのない14億人のうちの1人であり、本当に恵まれているなあと思います。

自分がどれくらい有利な立場であるか

今、この世界の中で「自分がどれくらい有利な立場であるか」決まる要素は、

  1. いつの時代に、
  2. どの国や地域で生まれ、
  3. 健康かどうか、
  4. 男性か女性か、
  5. その国や地域で多数派を占める人種であるか。

ぐらいだと思います。

いつの時代にどの国で生まれるのかどうかでほぼ決まってしまい、病気や障害を持っていると、どの国でもいつの時代でも相当大きなハンディキャップを背負って生きていくことになります。

雇用形態の男女比の話もしましたが、別に僕はここで「所得格差や男女差別をなくせ!」と言いたいわけではありません。

なぜなら、今の日本で「衣食住が確保されているということだけで自分は十分恵まれているなあ」と感じているからです。

もちろん、恵まれているからといって卑屈になる必要はありませんし、逆に恵まれていないからといって自分一人が「格差や差別をなくせ!」と叫んだところで何も変わりません。

僕も子どものころから「めちゃくちゃお金持ちの家に生まれてたらなあ・・・」とか「すげーイケメンに生まれてたら・・・」と思ったり、うつ病になってからは「あの時の健康な身体に戻れたらなあ…」などと思ったりもしますが、ドラマのように過去に戻れるわけではないので、今は今の与えられた環境と条件の中でやっていくしかないのです。

それに大金持ちにならない限り、自分より恵まれていない全ての人を助けることもできません。

少し話がそれますが、僕は「世界の中では何百人もの人が飢え死にしているから、食事は全部残さずに食べなさい」という教育というか理屈は因果関係が全くないので嫌いです。

だって僕が食事を完食したって残したって、世界の餓死数に変化はありません。

どう考えたって、僕が残した食事が貧しい国の人たちの前に瞬間移動するわけではありませんからね。

自分の与えられた環境で生きていく

太陽

目標は常に低く

このように人は無力なんです。

残った食事を瞬間移動させる能力は誰も持っていないし、僕が「飢餓に苦しむ人を救いたい!」と思っても、うつ病で無職の今の僕がやれることはせいぜい小銭の募金ぐらいで、大金持ちにならない限り不可能なことです。

だから人は自分の与えられた環境で、楽しく生きることに一生懸命になればいいと思うのです。

たとえうつ病無職が不利だったとしても、僕は身体に鞭を打ってまで正社員になりたいとは思いません。

だけれども、この世界にはいろんな条件の人がいることはなるべく若いうちに知っておいた方がいいと思います。

世の中には努力だけではどうにもできないことがあって、うつ病歴&ニート歴がある僕が今から正社員を目指しても、病歴はあるわブランクはあるわで健常者よりも不利な立場であることは明白です。

もし僕がうつ病になった後も正社員という立場を諦めきれず、また就活を始めていたらそれは無駄な努力と時間を費やすことになっていたかもしれません。

こんな言葉があります。

神よ、
変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。

ラインホールド・ニーバー(1892-1971)

引用元:ラインホールド・ニーバーの祈りの言葉

この言葉は「ニーバーの祈り」というものですが、僕はうつ病になった後、努力すれば自分の手の中に入れることができるものと、努力しても自分の手の中には入らないものがあることを知りました。

これを理解した僕は、他人が持っている道具ではなく、今自分が持っている道具でこれからの人生を乗り切り楽しくやっていこうと思えるようになりました。

だから僕は今日もこうしてブログを書いているのです。

冒頭にも書きましたが餓死もしないこんなに恵まれている日本で多くの人が悩んだり不満をもったりするのは高すぎる目標を設定している人が多いからだと思うのです。

目標を低く持つこと、僕の場合は「正社員だなんて高望みせず、今日食べるご飯が買えるぐらいのお金を稼げればそれでいいじゃん」と思えたからこそ、自分は十分恵まれているなあと感じられるようになったんだと思います。

人間が幸せだって感じる要素って案外シンプルでこんなものなんじゃないかなあと僕は思っています。

今回のお話は以上です。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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