生きるのが辛いならあえて「死」を意識すると心が楽になるかもしれない話

死を意識

こんにちは。うつ病ブロガーのだいだいです。

「この世に生まれてきた生き物はいつか必ず死ぬ」

先日、彼岸入りの日に先祖のお参りへ家族と一緒に行ってきた僕ですが、そこでちょっと思うことがあったので今回はその話をしようと思います。

「いつか必ず死ぬ」。

これは僕たち人間も例外はなく「死ぬ」ということはどのような人間であれ必ず訪れるものだと思うんですけど、実は僕は身の上で非常に苦しい思いをした時期があって自ら命を絶とうとしたことがありました。

そんなことは今回はどうでもいいのですが、僕はそのような経験から次第に「死」というものを強く意識するようになりました。

そして僕は現在「どうせ人はいつか必ず死ぬんだから」と思い毎日を生きています。

「どうせ…」という言葉から始まる表現はネガティブに感じる人も多いと思いますが、これは実はポジティブな意味でこの考え方をするようになってから僕は心の持ちようが辛いものや苦しいものではなくてとても「楽」に感じるようになったのです。

そこで今回は「死」という概念から生きるのが辛いなあ、人生って辛いなあと感じている人へ「人生が楽になる考え方」を一緒に考えてみようと思います。

目次

「死」を意識してみる

木

いつか命は必ず滅びる

冒頭に書いたように人に限らずこの世に生まれた命はいつか必ず亡くなります。

しかし現代を生きる人は「明日も今日と同じ会社や学校へ行く日が訪れるだろう」と思っていてこの「死」というものを強く意識して生活している人はほとんどいません。

明日、いや、今日この後数十分後に死ぬ可能性だって十分あるはずなんだけど、多くの人は今日と同じように明日はやってくるものだと思い込んでいます。

「人はいつか必ず死ぬ」

僕だってこの記事を公開した次の日に死んでこの記事が最期の記事になるかもしれないし、あなたがこれを読んでいる1時間後に大地震が来て死ぬことになるかもしれないし、今乗っている電車が脱線して・・・などということは可能性は決してゼロではありません。

実際東日本大震災では地震や津波の影響で多くの人が亡くなりましたし、だいぶん前のことですが福知山線の列車脱線事故も発生しています。

こうやって改めて考えてみると「死」というものはごくごく当たり前のことで、しかもそれがいつどこで自分の身に迫ってきてもおかしいものではないし、むしろこの世で生きている限り人はいつでも「死」と隣り合わせで生きているわけです。

家と会社・学校を往復しているだけで事故に遭うかもしれない、事件に巻き込まれるかもしれない、家にずっといたとしても大災害に見舞われる可能性だって絶対にないとは言い切れないので、「死」というものはあなたや僕のすぐ近く、僕らが思う以上にとても身近なところにあるものなんです。

「死」を意識するとやる気が出てくる

どんなにお金持ちの人だって、逆に住む家もないホームレスの人だって、死んだらこの世には存在しない「無」になってしまう。

一生かかっても使い切れないような何千兆円の資産を持っている人でも、一生かかっても返せないような借金まみれの人でも死んでしまうと全てなくなる。

そして多くの友達や家族に恵まれている人でも、家族にさえ見捨てられて孤独な人でも、死んだら何もかもが無くなります。

どうやったって資産や借金、家族も友達もあの世に持っていくことはできません。

つまり「死」というものは良いも悪いもプラスもマイナスも全てリセットされ、それは地位や名誉、人柄さえも関係なく全ての人に時間の差はあれど平等に訪れるもの。

僕もいつか必ず死ぬ。あなたもいつか必ず死ぬ。死んでしまったら命だけでなく何もかもが無くなってしまう。

「なんなら生きている間に好きなことややってみたいと思っていることをあれこれしておいた方がいいんじゃね?」というのが僕の考えです。

いつか必ず死ぬんだったら、やりたいことを我慢して毎日生きていくよりとりあえずやってみたいことを考えて実際にやってみた方が得だと僕は思うんです。

「死」を意識すると比べることがアホらしくなる

人という生き物はどうしても他人と比べてしまう生き物です。

人間にとってそれは生物が本来持っている一種の防衛反応でもあるため仕方のないものでもあるのですが、それが行き過ぎると意味不明な優劣をつけてさまざまな問題を引き起こしてしまいます。

いじめが代表的な例ですが、皮膚の色や目の色などの見た目、就いている仕事、学歴、収入、資産など人間は自分の面子を保つために勝手に自分の都合の良い優劣をつけようとします。

それで他人を羨んだり妬んだりすることが行きすぎるとそれこそ「死」にもつながるような事件になってしまうこともあります。

しかし冒頭にも言ったように人はそんなことをしなくてもいつか必ず死にます。

そしてそれは僕もあなたも例外ではないし、世界中の全ての人が時期は違えど平等に訪れるもの。

それを考えればそんな優劣なんてすごいちっぽけなものだと思うはずです。

どんなにお金持ちでも死ねば「無」になるのだからそこにお金も名誉も地位も関係ないんです。

そう考えると今現在の優劣なんて比べる必要は一切なくなります。

あなたはあなたなりに、僕は僕なりに命が尽きるまで楽しんで生きることだけに尽力すれば良いのです。

まとめ

今回は心が楽になる方法としてあえて「死」を意識してみることで見えてくる「人生が楽になる考え方」を考えてみました。

僕はうつ病になって前職を辞めざるを得なくなってから人と比べて自分は生きている価値がないんじゃないかと劣等感を背負ったまま自殺しようと思ったこともありましたが、今回紹介した考え方に徐々にシフトすることで心の持ちようがだいぶん楽になりました。

どんな人だって結局終着駅は一緒で全てが等しく「無」になってしまうんだから、それなら他人の意見に振り回されずに生きた方が絶対得なんです。

生きるのが辛いと思うのは他人の目を意識し過ぎているからです。

「どうせいつか人は死ぬんだから」と意識すると不思議と自然に前向きになれるのです。

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