他人のことをどうでもいいと思わない方が正直おかしいと思う

こんにちは。うつ病ブロガーのだいだいです。

僕は他人が死のうが、不幸になろうが、逆に幸せになろうが、そんなことは正直どうでもいいと思っているんですが、あなたはどうですか?

特にうつ病になって、仕事を辞めざるを得なくなるなど、世間一般の普通と言われる生活を送ることができなくなってしまった人は、ツイッターやLINEなど、SNSのタイムラインに流れてくる「リア充」な投稿と自分の現状とを比べ、嫉妬したり、劣等感を感じたりすることもあるのではないでしょうか?

でもね、僕はそんな投稿を見たとしても、

だいだい
だいだい

正直、どーでもいいことだな。

と思うんです。

目次

「他人に良く見られたい病」にかかっていない?

人間って誰もが、自分にとって、正直死んでも何一つ人生に影響しない赤の他人に必要以上に関心を向けて、比べたり、怒ったり、妬みに感じたり、またはその逆で、優越感を感じたりしますよね。

たとえばSNSのタイムラインで友達の幸せそうな投稿を見て、「あいつはすごい楽しそうなのに自分なんて・・・」と劣等感を感じたりだとか、芸能人の不倫報道を知って、「コイツは人間としておかしい!」と周りに正義感を振りかざしたり・・・。

また、ネットの掲示板やツイッターなどでも、企業や個人の悪口・批判をひたすら書き込む人も中にはいます。

これらはよく「炎上」と言われますが、多くの人は苦情の電話を何度も入れ続けたり、ブログに批判コメントを残したりするなど、わざわざ忙しい中、自分の時間を削ってまで露骨かつ執拗なことはしないでしょう。

それでもそんなことをする理由っていうのは、その人が暇なのではなくて、ただ単に、他人に良く見られたいだけなのではと僕は思うのです。

簡潔にいうと、「他人に良く見られたい病」。

そういう人っていうのは他人の幸福や不幸に敏感に反応することによって、ただただ自分に共感してほしい。

その他大勢の他人に「自分こそが正義だ!」と思ってほしい。

ただそれだけなんだと思います。

他人の目線を気にしても幸せにはなれない

群衆

でもね、僕は「その他人の目線を気にすることであなたの人生って良くなっていくの?」と思うんです。

自分に対する他人への目線って、別になくても生きていけるはずです。

おそらく、「人としておかしい!」と正義感を振りかざす人にとって、その不倫した芸能人が死んでも、また、問題の発端となった不祥事を起こした企業や個人が消え去っても、他人の目線を気にしているその人自身の人生に何かしらの影響もないですよね?

むしろ、こんな風にして怒っている時間の方が無駄だとは思いませんか?

それなら、その時間でおいしい物を食べたり、自分にとって楽しいと思うことをしたりする方がよっぽど有意義だと僕は思います。

もちろん、僕にとってこのブログを読んでいる人が明日死んだとしても、僕自身の人生が変わることだってないですし、逆にあなたにとって僕が明日死んでも、いつもと何も変わらぬ同じ明日が訪れるはずです。

これがたとえ親友や家族だったとしても、しばらくは悲しみに打ちひしがれているかもしれないけれど、数か月経ったらそれなりの日常を取り戻しているだろうし、大切な人を失っても、自分にとってはそれなりの明日が来ます。

人が死んだことによって、その人と自分との関係性の大小で多少の悲しみはあるけれど、自分に余命が宣告されたかのように絶望しているような人は多くないはず。

ということは、こうも言うことができるのではないでしょうか?

人間とは極論、「自分以外の存在はどうでもいい存在である」と。

僕はこのような「正直どうでもいい」人の目線を意識して言動すること自体がとてもアホらしく感じます。

とある芸能人が不倫したって、不倫自体は個人的には悪いことだと思いますが、正直、

「それが何なの?」「なんでみんなそんな騒いだり叩いたりするの??」

って感じです。

だってその芸能人の不倫が僕の人生に影響するわけないですからね。

そんなことよりも、僕は近くのスーパーマーケットの食料品の値段の方が気になります。

だから、人に対してどうでもいいと思っていない方が人間としてすごい不自然なことだなあと僕は思うのです。

〈補足〉「どうでも良くない!」という人は僕やあなたが死にそうなら何してくれるの?

ここで記事を終えておこうかな、とも思ったのですが、ここで終わると「他人のことを思いやることの方が大切だ!」などという批判がきそうなのでちょっと補足をつけ加えておきます。

たとえばですが、普通に考えて、

「うつ病ブロガーのだいだいがもうすぐ死にそうです!」

と、あなたが僕の存在を知らない友達にそう言っても、

「誰、それ?」

で終わるじゃないですか?

僕は芸能人でも有名人でもありませんので、それを聞いた人が逆に、

「えっ~~~~、あのだいだいが!?マジで?えっ!!本当に~!?お願い、お願いだから死なないで~~~~!!!!」

ってことにはどう考えてもならないでしょ?

よく「他人を大事にしなさい!」などとキレイごとを言う人でも、その人にとっては一切認知されていない僕という人間が死んでも、何の感情も持たないわけです

だから結局は「他人を大事に!」とよく言う人でさえも、実際は他人はどうでもいいということなんです。

本当にどうでも良くないのだとしたら、僕やあなたが死にそうになったらすぐに駆けつけて来てくれて何かしてくれるはずですからね。

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1 COMMENT

他人など存在しない

私は人間関係に疲れて、独身、未婚の40半ば男です。

今まで散々悩んできたのですが、やはり他人はどうでもいいという結論が出た矢先にこちらのブログに出会い、共感しました。

本当に助けて欲しい時に助けてくれる人等誰もいませんでした。

ただ、自分自身も他人に良いことを囁きながらも、何一つしてあげてません。

みんな、綺麗事を言うばかりで、盾になってくれるなんて無かったですし、自分もまたしかりでした。

長くなりますので、書きませんが、所詮、他人とは自分から見て色んな意味での利用価値の度合いにより、大事であったり、不必要であったりと…

私もうつ病的な者ですから、主さんに共感しています。

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