周りに合わせて空気を読むのに疲れた人へ

空気を読むのに疲れた

こんにちは。うつ病ブロガーのだいだいです。

だいだい
だいだい

突然ですが、あなたは空気を読んだり、周りに合わせるのが得意ですか?

僕はすごい苦手っていうか、今はそもそも周りになんて合わせられない性分なんです。

だからこうやってひとりで黙々と文章を書いていく仕事が性に合っているんだなあと思います。

話は戻りますが、空気を読んだり、周りに合わせるってすごい難しいというか正直、無理…ですよね。

僕は学生時代からもそうでしたが、特に働き始めてからは、

「自分は人と合わせるだけでこんなに疲れるのに、よく周りに合わせたうえ、さらに仕事もできる人ってなんてすごいんだ!」

と思うようになって、自分の適合性というか社会性・協調性のなさにひどく落ち込んだこともありました。

会社に勤めていたときは、仕事がうまくできるかどうか以前に、周りと違って浮いてないかどうか、お客さんはもちろん、上司、同僚、取引先、道行く人から電車で隣になった人にまで、あらゆる人に気を遣いながら生きていたので、それはもう、毎日ヘトヘトな生活を送っていたんです。

最近はコミュ力が大事だとか協調性が云々・・・だとか、「空気を読むこと」が求められる世間の雰囲気も合わさり、「空気を読むことや周りに合わせること」が過剰に気になって、こうやって過去の僕と同じように、人に合わせるのがすごい苦手なんだけど、仕事上なんとかしなければと思っている人も多いと思います。

でも、僕は、人に合わせられないというのは悪いことではないと思うんです。

というか、実際問題として、あなたがそんなに気にして人に合わさなくちゃと思わなくても、人ってけっこう平気で生きていけるもんなんです。

逆に「人に合わさないと」といった考え方が、自分の人生を悪いものにしている場合だってあるんです。

実は周りのことを考えない方が結果的にうまくいったという事例はたくさんあります。

今回はなぜ周りのことを考えない方がよいのか、空気を読むのに疲れた人に向け、ちょっと考察してみようと思います。

目次

共同作業・集団行動が苦手

僕はこれまで生きてきた25年の人生の中で、学校や会社でやるような「みんなと一緒に同じ目標に向かって同じことをやる」という共同作業や集団行動が苦手でした。

学生時代の例でいえば中学校の体育祭。

体育祭当日が近づいてくると、ほぼ毎日、放課後に、クラスで応援合戦の見せ物の練習をしたことがあるのですが、なぜクラスの他のメンバーが一丸となって練習に勤しめるのかが不思議でたまりませんでした。

見せ物のダンスの曲や振り付けも、僕が決めたのではなく、クラスのやんちゃ系の子や体育委員、そしてその子らの友達が勝手に決めたもので、僕とは何の関係もありません。

僕は

「この応援ダンスがうまく成功したら何か賞品や賞金でももらえるの?こんなのに時間を費やすんだったら早く家に帰って先週買ったゲームの続きをしたいよー」

という感じでした。

そうです。この見せ物は自分が決めたものではなく、他人、しかも仲が良いわけでもない同級生が勝手に決めたものだから僕の心の中に「よーし、やるぞー!」というやる気なんて出るはずもないし、そもそもそんなものに気持ちが乗るわけありません。

いわばこれは、自分が能動的にやっているものではなく、他人に勝手に決められてやらされている受動的なもの。

当時の僕にとってはやらされている体育祭の見せ物よりも、自分で決めて選んだゲームの方が大事だったわけです。

しかし本音ではそう思っていても、クラスの他のみんなは一生懸命、練習をやっているので僕一人だけ家に帰るわけにはいきません。

だからその場では、さも一生懸命頑張っているかのように振る舞うわけです。

(他にもこの場に僕と同じことを思っている子がいたのかは今となっては分かりません。)

会社でも同じような感じでした。

「5年後のオリンピックまでに東京進出!みんな一丸となって頑張ろう!」

と上司に言われても、達成したからといって僕にメリットがあるわけでもないし、逆に

「これ以上現場が忙しくなるのは勘弁だから、そんな目標よりも社内の人手不足を解消する方法を一緒に考えてよ~!」

と切に願ったものです。

それなのに、周り、特に上司は何かに取りつかれたかのように契約数や売り上げを増やすのに必死になっている現実。

上司にとっては大量の仕事を取ってくるのが会社の売上につながり快感だとしても、人手不足になるほど大量の仕事を振られる僕はたまったものではありません。

同期や現場で働いている人の中には僕の意見に共感してくれた人もいましたが、上司との飲み会において、そんな状況で水を差すような僕の本音なんて言えるはずもなく、そうやって周りに合わせて必死になって働いていたら、僕はいつのまにかうつ病になっていました。

こんな風に、空気を読んだり、周りと合わせたりするのが苦手という人は、社会性や協調性がないのではなく、ただ単にそれが自分の心からやりたいことではないからだと僕は思うんです。

逆にそういうような周りに合わせるのが苦手な人ほど、「人のために」という相手に対する意識が強い分、周りの人のことが考えられる、思いやりがあって優しい人だと思うんです。

それでもこういう場合、単純に「頑張ろう」ではなく、「周りから見て自分はちゃんと頑張っているかな?浮いていないかな?」ということを基準にして考えてしまうから、毎日疲れてヘトヘトになってしまうんです。

だから苦手だと思ってしまうし、そもそも自分のためではなく、周りに合わせることが目的になっているからとてもしんどく感じるのです。

それに加え、心からの行動ではないので、そうやって消極的に取り組むものというのは仕事にしろ勉強にしろ成果も上がりにくいんです。

嫌われたくないと思っていただけ

marusya21111999 / Pixabay

ではなぜ僕はうつ病になるまで周りに合わせようと頑張ろうとしていたのか?

これはただ単に周りから「嫌われたくなかっただけ」だと思うんです。

人に合わせることだけを目的にして頑張る努力というのは、今から思うと「嫌われないように、嫌われたら終わりだ」という僕の臆病で肝が小さいチキンな心の表れだったんです。

「自分ひとりだけ帰ったらいじめられる・・・」

「上司に気に入られるために・・・」

「無職やフリーターになんてなったら世間体が・・・」

このように、うつ病になる前の僕は自分のことよりも、他人からの目線である「自分が他人からどう見られているか」を気にするあまり、自分の身体が発するSOSさえも、ほんとは気づいていたのに気づかないふりをしていたのかもしれません。

しかし、僕はうつ病になり無職になってから、しばらくの時間を過ごすと、こう思うようになったんです。

他人に「嫌われないように」と自分に嘘をついて生きていくのって、逆に他人から嫌われる生き方そのものなんじゃないか

「自分はどういう風にみられているか」を常時気にしてビクビクしながら生きている人って別にカッコよくも何ともないですし、その場その場でカメレオンのように主張をコロコロ変える人はどう見ても信用されにくいですよね?

嫌われた方が得?

実は僕の経験上、「嫌われても構わない」と完全に開き直って自分の好きなことや得意なことをする方がかえって人から好かれるようになります。

実際に僕は前の会社を退職してからは人に合わせる仕事は一切せずに、人に合わせずとも自分一人でできるブログ執筆やサイト運営をしていますが、僕が好き勝手に好きなことを書いている文章にもかかわらず、毎日たくさんの人に読まれ、さらには顔も名前もわからない人から応援のコメントや記事の感想をいただいたりもします。

もし、僕がブログを嫌々書いているとそんなコメントは書かれないですし、そもそもこんなにも長い間続いていないと思います。

このように、嫌なことよりも好きなことを一生懸命している人の方が他人には魅力的に映りますし、好き勝手やっている方が自然と人は集まってくるようになります

僕のようなブロガーもそうですが、最近でいえばYouTuberはまさにそうですよね。

人は周りと協調しながら物事を進めるのが得意な人もいれば、僕のように一人でコツコツ誰にも邪魔されずに淡々と物事をこなしていくのが得意な人もいます。

きっと人に合わせることや空気を読むのが苦手な人は後者のはず。

中学生の頃の僕は、体育祭の見せ物よりもゲームのレベル上げがしたかった。

会社の売上はどうでもよかったけれど、自分のブログやサイトの売上はもっともっと増やしていきたい。

だってそれは他の誰でもない自分が決めたことだから。

そうやって自分勝手に行動していくと、不思議と共感や賛同・応援してくれる人が必ず現れます。

だから、あなたが嫌われたくないという理由で周りに合わしているのなら、それはやめておいた方がいいと僕は思うんです。

そういう理由で周りに合わせるのは、もちろん自分がしんどいというのはありますが、逆に嫌われる要因になってしまうからです。

そもそも地球上の全員の人に好かれることなんて不可能ですからね。

万人に嫌われないように努力するよりも、ありのままの自分を好きでいてくれる人を大事にしていった方が大切なんじゃないのと僕は思います

協調性よりも大事なこと?

ここからは僕個人の意見ですが、そもそも今の時代、周りに合わせる協調性って世間で言われているほど大事なものなのか大いに疑問です。

特に日本では昔からみんなと同じであることや周りの空気を読むことが重視されています。

みんなと少しでも違うことをすると、村八分にされたり、白い目で見られたりすることもあります。

さらに教育現場である学校では全員で同じ授業を受け、働く場である会社でも同じ目標に向かって頑張るように指導され、日本では「右へ倣え」と空気を読んで周りと合わせることが美徳というか、一番大事なことだと教育されます。

でも、これからの時代は、周りに合わせて空気を読むよりも、空気なんて読まずに自分の好きなことに人一倍の情熱をもって取り組むことの方が、大事なことなんじゃないかと僕は思うんです。

現代はITの発展やグローバル化、さらには人工知能やロボット技術が進み、多様な生き方や働き方が実現されるにつれて、これからは組織や人に合わせるだけで生きていける時代ではなくなりつつあります。

このような多様化が進んだ社会では、無理して人に合わせるよりも、お互いに違いを認めて受け入れ、その違いを上手に生かしていく方が大事だと思うし、そのためには、人に合わせられない人を排除していくより、そういう人を受け入れる寛容で広い心が必要だと僕は思うんです。

空気を読むことに疲れたあなたは、これ以上人に合わせる努力をするのではなく、もっと自分のことを大事にして生きてみることをおすすめします。

自分のことを大事にすることで初めて人は他の人を大事にすることができるのではないでしょうか?

今回のお話は以上です。

最後までお読みいただきありがとうございました。

〈参考図書〉

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