必要最低限の小さな消費さえ意識すれば長時間働かなくてもいいのになと思う

小さな消費

こんにちは。うつ病ブロガーのだいだいです。

これは最近僕がよく思っていることなんですが、「生活するうえにおいて必要最低限の小さな消費さえ心がければ、嫌な仕事で人生を消耗せずに済むのにな」と思うんです。

目次

生きていくために本当に必要なものって・・・?

いきなりですが、あなたは「生きていくために必要なもの」って何だと思いますか?

食べること、寝ること、住む場所、服を着ること・・・などなど。

もちろん衣食住は必要です。

人間はこれが満たされた上で、自己実現とか社会貢献とか、はたまた恋愛とかがあると思うのですが、僕は最近は、

「便利で快適な生活を送るのに衣食住はもちろん、自己実現とかにたくさんのモノやお金って本当に必要なものなんだろうか?」

と、よく考えるんです。

どうしてかというと、過去の僕を含め、現代人というのは「生きていくため」と、最もらしい理由をつけながら、なんだかんだ文句や不満を言いながら嫌々働いている人が多いと思うんです。

でも僕は、そうやって生活のために働いていながら、それ以上の無駄な消費をしてお金を使って仕事のストレスを解消し、それでまた嫌な仕事をしてストレスをためながらお金を稼ぐ・・・

っていうようないわば終わりのない無限ループみたいな生活が、果たして幸せにつながるのか、はなはだ疑問に思うからです

必要以上に食べない生活

僕はうつ病になってからは過食気味で、過労と睡眠不足が原因による拒食でそれまで大幅に減った体重が反動のように大幅に増えた時期があるのですけど、今のこの国ってどこにでも食べ物があふれているじゃないですか。

食品廃棄(フードロス)が社会問題になるほど食糧が有り余っているこの日本で、ごはんや麺類等の太りやすい炭水化物は特に値段は安いし、何より美味しいので、ついつい食べてしまう気持ちも分かるのですが、はっきり言って現代人っていうのは食べ過ぎなんじゃないのと僕は思います。

世の中にはおいしいものがあふれていて、「アレもコレも食べたい!」ってなりがちですが、果たしてそんなにエネルギー原や栄養って必要なのでしょうか?

「たくさん食べて太ったからダイエットしなきゃ」となりますが、そのためにサプリや健康食品など買って痩せて、また仕事のストレスのために暴飲暴食に走り、また「痩せなきゃ」・・・っていう繰り返しって僕はなんだかすごいバカバカしいなあと感じてしまいます。

話は変わりますが、実は僕は、以前友達がやっていた「昼抜きダイエット」という方法を試してみて、半年で10kg以上の減量に成功したのですが、お腹が空いて胃の中が空っぽになっている状態って、最初は少し辛かったですが、慣れるとすごい気持ちよく感じます。

そして今では意識的に空腹になる時間を作っています。

では、なぜうつ病になってすぐの僕はあんなに食べていたのか?

それは不安だったからだと思うんです。

美味しいものを食べているときは人はやっぱり満足感と安心感を感じます。

だから大幅に太ってしまうほど食べ続ける人はどこかに不安を感じているからひと時の安心感を得るために暴食に走ってしまうのでしょう。

そもそも、ちょっと前までは1日3食ではなく2食が当たり前だった時代もありますし、戦時中なんて満足した食事すら摂ることもできなかったですからね。

個人的には食事を自発的に抜いてお腹の中を意図的に空っぽにすると、その影響で胃が小さくなって、自然に食べる量が減っていくので痩せたければ「昼抜きダイエット」はおすすめです。(慣れるまでは食欲に打ち勝つ強い意志が必要ですがw)

服も必要以上に買わない生活

僕はこのとおり、自宅で仕事をしているので、スーツや制服というものがいりません。

礼服なんかでも毎日着るものではないし、今の時代って必要になった時はその時にレンタルすればすぐにそろいます。

僕はおしゃれにも特段興味がないですし、普段着でも周囲の人に不快感を与えない、最低限の服装で十分だと思うんです。

何より周りを意識しすぎていろいろ着飾るなんて、それこそお金の無駄だし、そんなことしても自分が虚しいだけだと思うんです。

娯楽だって無料で十分楽しめる

僕はブログを書く以外にも、いろいろな人が書いたブログの記事を読むことも好きなんですが、これってネットにつながったスマホかパソコンがあればいつでも無料で楽しめますよね。

無料というと民法テレビもありますが、YouTubeなどの動画サイトも基本無料で見れますし、今ってネットにつながったスマホさえあれば音楽、映像、ゲームなどの娯楽だって0円で楽しめるし、何でもできちゃいますよね。

ドラマやアニメが見たければ、一昔前まではレンタルショップにDVDを借りにいくのが主流でしたが、今は動画配信サービスが充実していて、その料金も安価or無料です。

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僕はこうやってブログの文章を書くためにパソコンは必要ですが、ブログでお金を稼ぐためのセミナーを受けに行ったことは一度もないですし、ブログ運営のノウハウ関係の本は1冊も買っていません。

全てネット上にある知識だけでここまでやってこれました。

以前も別の記事に書いたことがありますが、別に「何かを学びたい!」と思っても必ずしも学校に通う必要はありませんし、オンラインなら場所も時間も選ばす自分の好き場所や好きな時にいつでも勉強することができます。

確かにネットやスマホがこれだけ普及していなかった時代は学校に通ったり、本を買うか借りるかしたりしないと、新しい知識を学ぶことは難しかったですが、誰もがスマホを持つようになった今は、料理でも英会話でもブログでも何にしても、何かを始めるためのハードルっていうのはすごい低くなったんじゃないのかなあと僕は感じます。

必要最低限以上の生活をするために必要最低限の生活を犠牲にする矛盾

Meditations / Pixabay

あなたの「欲しい!」と思うものは本当に欲しいものですか?

僕があまり物欲がないだけかもしれないですけど、家族をはじめ周りの人を見ていると、僕はなんだか、

「お金とか食べ物とか服とか、その他もろもろ全部含めて、生活する以上のモノを得るために、嫌な仕事を続けストレスをため込んで、そのストレスの解消のために食べ過ぎや浪費など余分な消費に走ってしまったり、それの繰り返しで結局は身体を壊したりしているんじゃないのだろうか?」

って思うんです。これは無理して働いていた過去の僕自身も含めて。

言い換えると、これは「必要最低限以上の生活をするために必要最低限の生活を犠牲にしている状態」で、これってすごい矛盾しているんじゃないかと。

たしかに家族や親せき、友達と美味しいご飯を食べながら語らうのは楽しいですし、好きなものを身に着けたり、好きな食べ物を食べるのはとても幸せなことで、そういう体験はむしろ日常生活に彩りを与えてくれる不可欠なものなんだけど、僕ら人間は時々「必要以上なもの」を求め過ぎているようにも感じます。

だから、その消費の回数を増やすために無理して長時間働くのはなんか違うんじゃないのかなあっていう違和感が僕にはあって、その違和感をうまくまとめられたかどうかは分かりませんが今回僕は記事にして言語化してみました。

高級なものはたまに食べるからおいしく感じる。

それを毎日食べているとそのありがたみがだんだんと分からなくなっていって、しまいには美味しいとさえ感じなくなるのではないでしょうか。

遠く離れた親せきや友達には年に数回しか会わないから、その人に会うのが楽しみになる。

いくらお互いにこれまでの仲が良かったとしても、24時間365日ずっと一緒にいると、その人の嫌なところばかりが目に入るようになり、お互いに息も詰まってくるでしょう。

「ミニマリスト」という言葉も流行りましたが、個人的にはそこまでいかないにしても、現代は例にも挙げたように、少ない消費でも工夫さえすれば十分充実した生活を送ることができます

だから、嫌な仕事を生活のために嫌々続けている人は、必要最低限の小さな消費をもっと意識して、生活コストを減らすことにより、嫌々働く時間をだんだんと減らしていけないものなのかなとは思います。

今回のお話は以上です。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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