他人と比べても仕方がない。大事なのは自分なりの価値判断を持つこと

価値判断

こんにちは。うつ病ブロガーのだいだいです。

いきなりですが、あなたは幸せに生きていくために必要な考え方ってなんだと思いますか?

僕が幸せに生きるために必要な大事な考え方は「他人と自分とを比べないこと」だと思うんです。

そして、他人と自分を比べなくても幸せを感じるためには、自分が何に対して価値を感じるのか、様々な経験や自己分析を介して自分を知り、「自分なりの価値判断を持つこと」だと思うんです。

今回はそんなお話です。

目次

他人と比べても仕方ない

僕ら人間って、自分と他人とを比較し、「他の人は自分より年収が良い」とか「他の人は自分よりもっといい生活をしている」とか考えてそれに固執して劣等感を抱いてばかりいると、人並み以上にお金を稼ぐことや人並み以上の生活をすることだけが幸せの形だと思い込んでしまいます。

でも、僕は他人と自分とを比べるっていうのは、あまり意味がないことだなあと思うんです。

たとえば、ちょっと突拍子な話になりそうですが、僕は自分と自分以外の人間は、「犬と猫」とか、「鳥とウサギ」みたいに同じ動物でも違う生き物だと思っています。

もちろん、人間同士だと言葉を使うことでコミュニケーションも取れて意思疎通もできるけれども、やっぱり人間って生まれた時代も生まれた場所も育った地域も何もかもが違うので、根本的にはひとりひとり全く違う価値判断を持って行動している生き物、それが人間なんだなと僕は思うわけです。

そんな状況で、種類の異なる全く別の生き物と自分を比べて、勝っただとか負けただとかで競うことに正直意味はないと思うんです。

たとえば、先ほどの例で言うと、ウサギが「鳥は飛べるけれど、僕は飛べないから負けてる」とか、逆に鳥が「ウサギは早く走れるけれど、俺は走れないから負けてる」と考えて落ち込んだり劣等感を抱いたりはしないですからね。

だから、そんなことを考えるのってすごいバカバカしいことだなと思うわけです。

これと同じように人間というのは所詮、自分の生き方や価値判断と他人の生き方や価値判断は全く異なるものなんだから、結局は他人と自分とを比べても仕方がないものなんだと僕は思うのです。

価値の多様性とは?

johnhain / Pixabay

こうは言ったものの、たしかにちょっと前までは、「幸せの価値観」というものが今よりも狭くて、たとえば、

「みんなが当たり前のように就職して車を買って結婚して家を買って・・・」

というように、社会に属する多くの人が、ある程度同じ目標を目指して生きていました。

そんな時代では幸せの価値観というものが統一された基準の元にあったので、その基準を使って他人と自分を比べることが容易であったから、勝ち負けみたいな概念を作りやすかったのは事実であると思います。

「就職できれば勝ち組」だとか「マイホームを手に入れるのが夢」みたいな風に。

しかし、最近は、社会状況や経済状況の変化でそういう価値判断や価値基準というのがだんだんと崩れて来ていて、いろいろな人間が各自でそれぞれいろいろな生き方を選択するという時代になってきています

要するに、価値が多様となっている社会に移ってきているということ。

そうすると、そんな時代においては他人と自分とを比べる意味はどんどんと薄まっていき、比べることにより勝ち負けをつけるっていうそもそもの意味がなくなってきています。

そんな時代に大事になってくるのは、周りに流されず「自分にとって本当に必要なものは何か」「自分は何に価値を感じるのか」という、冒頭でも述べた自分なりの価値判断をはっきり持つことなんだと僕は思うわけです。

ただ、人間は社会的な生き物なので、自分ひとりだけ周りと違う価値観を持つのは多くの人にとっては孤独なもので精神的にもだいぶしんどいので、全く同じである必要はないけれど自分とある程度価値観が近い人を友達にすることも必要になってくるとも思います。

理解できないことを認め合うこと

それと、たまに僕がブログを書いてそれで収入を得ているというと、親しくも何ともない見ず知らずの他人がいきなり自分の価値観を押し付けて来て

「そんな働き方は認めん!外で汗水たらして働くのが大人として当然だ!」

とか

「世の中甘くないしそもそもそんなものが世間に受け入れられるはずがない!」

などと言ってくる人がいます。

でも、僕はそんな人っていうのは、僕にはよく分からない宗教を信仰している人が

「あなたの生き方や働き方は自分の宗教に反しているのでおかしいです」

と言っているのと同じだと思っているので、「ああ、僕とは別の宗教の人なんだな」と思ってスルーしています。

上の文章の「宗教」っていうところを「価値観」に置き変えて読んでみても何も違和感がないと思いますが、真の多様性のある社会とは「お互いに理解し合う社会」ではなくて、このように、「お互い理解できないということを認め合う社会」なんだと僕は思うわけです。

人間、生まれも育ちも人それぞれ違っているんだから、価値観もそれぞれ違ってて当たり前。

でも、その価値観を理解してもらおうと他人に自分の価値観を押しつけて他人をコントロールしようとするのは単なる暴挙で、お互いに「そんな価値観もあるんだな(でも自分には理解できないわ)」っていうところでとどめておく。

そうやって、いくつもの価値観を持つ人間が形成する社会において誰もが幸せに生きていくためには、お互いに「理解できないことを理解してそれを認め合う」という考えが重要になってくるのではないでしょうか。

僕はそれが真の意味で「多様性のある社会」だと思っています。

最後に

このような時代の移り変わりから、幸せに生きるために大切になってくる考え方っていうのは「他人と自分とを比べないこと」だと思います。

人には人それぞれの価値観があるのは当たり前だし、それに対して劣等感や怒りを抱いてもお互いにとって無駄であって、そもそも不毛なことです。

他人と比べてあーだこーだ言っていてもそれは仕方のないことだし、そうであるならば、

「自分は何をしているときに幸せを感じるのか?」

「自分は何に対して価値を感じるのか?」

と今一度じっくり考えてみる方が良さそうです。

そして、自分なりの価値判断を持つことの重要性は変化の激しい時代において、これからますます大きくなっていくのではないでしょうか。

今回のお話は以上です。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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