やりたくないことをやる必要ってあるの?そもそも我慢って必要?【努力と我慢の違いについて】

努力と我慢の違い

こんにちは。うつ病ブロガーのだいだいです。

いきなりですが、あなたには「やりたくないこと」「嫌だけど仕方なくやっていること」ってありますか?

仕事、勉強、家事・・・などなど、その「やりたくないこと」の中身っていうのは人それぞれ異なっていて、その内容もさまざまだと思いますが、これを読んでいるあなたもきっと、「やりたくないこと」の1つや2つってありますよね。

でも、僕が思うのはそもそも人は「やりたくないこと」をやる必要があるのか

人生って一回きりのはずなのに、なぜ「やりたくないこと」ばかりに、その一回しかない貴重な人生という時間を費やさなければいけないのか?

あなたはこんなことについて、真面目に真剣に考えたことがありますか?

少し長くなるかもしれませんが、もし疑問に思っているのならば最後までお付き合いいただけると幸いです。

目次

「やりたくないこと」を何の疑問すら持たずにやらされてきたこれまでの人生

僕は物心ついたときからうつ病になって働けなくなるまで、何の疑問も持たずに、ただ用意されていた環境の中、「やりたくないこと」を我慢しながら真面目にやってきてこれまで生きてきました。

具体的には、学校には遅刻をせずに行き、宿題や課題は期限までにちゃんとやって提出し、いじめに遭って学校に行きたくない時でさえも我慢して登校していました。

ですので、僕が学校を休んだのは風邪で熱が出たときくらいです。

会社に勤めていたときも、寝不足や疲労で「今日は休みたい!」と思っていても、職場まで重い身体を満員電車に乗せ、無理矢理運んで通勤していましたし、そもそもその時は「そうするのが当たり前のこと」だと思っていたので、そんなことに何の疑問すら持たずに生きていました。

そんな生活を送っていると、いつのまにかうつ病になって気づけば働けなくなり、その時から僕は自宅で療養する生活が始まったのですが、僕は働けなくなって初めて、

  • 「なんで人生ってやりたくないことばかりやって生きていかなきゃいけないんだ?」
  • 「これから死ぬまでずーーーーっと自分はやりたくないことをやって生きていかなくてはいけないのか?」
  • 「これなら死んだ方が何倍もマシだよね?」

と疑問に思ったんですよね。

うつ病になったことで「できないこと」をせずに生きていくにはどうしたらいいのか必死に考えてみた

DanielReche / Pixabay

そうやって、うつ病になったことで、僕にとってこれまで「やりたくないこと」っていうのが、一瞬にして「できないこと」に変わってしまいました。

具体的にいうと「外で雇われて働くこと」が、うつ病になった僕にとって、手の届かないところに行ってしまったんです。

しかし、僕にとってはこの「外で雇われて働くこと」が、イコール「やりたくないこと」だったので、うつ病になって内心ホッとした部分もあったんです。

「うつ病が落ち着くまでの、少しの間は働かなくてもいいんだ」

という風に。

でも、しばらくしてうつ病の症状も軽くなってくると、僕は大きな問題に直面することになったのです。

それは「お金の問題」

今は僕の両親も健全で、生活する分には一応なんとかはなるんだけれども、いずれは自分一人の稼ぎで生きていかなくちゃいけないから「お金の問題」は人生において避けられないことであると。

しかし、僕は「雇われて働くこと=やりたくないこと」だし、そもそも当時はうつ病の症状が重かったので、外で働くことなんて到底できない。

「月に何十万円も欲しい!とは言わないけれど、生活する分だけのお金はどうしても必要なので、外で雇われて働く以外に月10万円程度のお金を稼ぐ方法は他にないのか?」

そういう思いから、僕はどうやったら「雇われなくてもお金を稼げるか」必死に考えて考えて調べてみたんです。

すると、

「せどり」「ライター」「ブログ」「アフィリエイト」「投資」・・・などなど、お金を稼ぐ手段は探せば探すほど星の数ほど見つかります。

「うつ病がマシになって元気になっても雇われたくないな…」

そんなすごいアホらしい理由から、僕は療養中からブログやアフィリエイトを始め、現在では月に10万円のお金を稼ぐことに成功しました。

でも、なぜ僕が雇われずに月10万円稼ぐことができるようになったかというと、

避けられない問題に直面したとき、わざわざ「やりたくないこと」を嫌々やるより、いかに頑張らずに、そして、いかに楽しく、自分が費やすことのできる努力の内で済ませることができないか考えて行動してきただけ。

端的に言うと、

「自分が無理せずにできる範囲の努力で最低限の生活をまかないたい。」

ただそれだけの理由だと思うんです。

たとえば、やりたくもない仕事で月10万円稼ごうとすると、たとえその仕事の時給が1,000円だとしても、単純計算して月に100時間も働かなくちゃいけないんです。

これはうつ病の僕にとったらハードルが高すぎだし、効率も悪いし、そもそも「やりたくないこと」なので、これでは僕が生きる意味がなくなってしまうんです。

「やりたくないこと」になるべく直面しない生き方に転向する

冒頭にも挙げた、仕事、勉強、家事・・・などなどの、「やりたくないこと」。

「やりたくないこと」の中身は人によってさまざまですが、なぜ人は「やりたくないこと」をやらなきゃいけない状況に直面するのか?

僕が思うに、これは僕も直面して実際に経験した「お金の問題」っていうのがすごい大きな原因になっていると思うんです。

ちょっと引いてしまう方もいるかもしれませんが、僕は「世の中の95%くらいの問題はお金で解決する」と本気で思っていて、多くの人が「お金に縛られている生活」をしているから「やりたくないことをやらなくてはいけない状況」に陥っているんだと思います。

具体的に見てみると、人間であれば誰もが必要な「生活費」

以下でちょっとその中身を詳しく見ていくことにします。

自分が「生きていくのに最低限必要なお金」を把握する

「やりたくないこと」になるべく直面しない生活をするためには、まず、自分が生きていくのに最低限必要なお金を把握することです。

実家暮らしの僕の場合、月に10万円の収入があれば貯金ができるほど十分で、もっともっと食費を切り詰めると、月3万円でも税金をのぞけば自分一人だとなんとか生きてはいけます。

以前、このブログの他の記事にも書いたんですが、最低限の生活さえ意識すれば、やりたくないことをやる必要はだんだんとなくなっていくのになあと僕は強く思うんです。

小さな消費必要最低限の小さな消費さえ意識すれば長時間働かなくてもいいのになと思う

「負債になる所有」と「自分を縛る人間関係」を整理する

そして、人間の悩みのほとんどは「お金」か「人間関係」が原因で、「人間関係」の悩みは「お金」で解決できると断言します。

生活する上において、家や車、保険や大手携帯電話会社との契約など、月々の支払いである固定費が原因で生活が苦しいならば、それらを整理して捨ててしまえばいいと思うんです。

僕にとっては「車」も「保険」も必要性を感じないし、逆にこれらの維持費や保険料が負債となって生活を縛っていくので、所有・契約するメリットは一切ありません。

交際費が家計に重くのしかかっているならば、その関係も切ってしまっていいと思います。

本当に大切な関係であるならば、お金や時間をかけなくてもその関係は自然に続いていくものだし、人間は自分が幸せな感情で満たされていて初めて、他人に施すことのできる生き物なんだと思うわけです。

何かを持っているから、何かを所有することにこだわっているから、それを失わないために、所有し続けるために、お金や時間が奪われていく

そうやってお金も時間も奪われていくから、「やりたくないことをやらなくてはいけない状況」に追い込まれる

これも以前の記事で説明したのですが、実は「モノを所有・維持するため、そのモノ自体が負債になっている」という構造になっていて、モノを多く持つことは、結局、「自分で自分の首を絞めている状況」と同じなんですよね。

資産と負債【知らなきゃ損!】多くの人が勘違いしている「資産」と「負債」の違い

だから、あなたが「やりたくないことをやらなくてはいけない原因」は自然にできたものでも外部にあるものでもなくて、自分自身が「何かを所有したことで生まれた負債が要因である」というのが案外多いのでは、と僕は思うんです。

そもそも我慢は必要なのか?~「努力」と「我慢」の違いについて~

話を戻して、こんなことを考えて書いていると、「少しの我慢はむしろ必要じゃないか」という意見をいただくことになると思うのですが、僕はなぜ「我慢」が必要なのか、すごい疑問を感じるのです。

それは僕が、我慢し続けたせいでうつ病になったから。

もし、我慢せずに働いていなかったら、僕はうつ病にならずに済んだかもしれません。

でも、当時の僕は我慢をすることが正しいと思っていたので、結果、身体を壊すことになった。

よく日本では、「汗水たらして働くのが美徳」という風潮が流布しているけれども、今の僕はこの考えはどうも理解できない。

僕はうつ病になってからは「嫌々働かない」「やりたくないことはやらない」をモットーに生きていくと決めたので、我慢という文字は今の僕の頭の中の辞書にはありません。

それでも、やりたいことのために「我慢」をする必要もありますが、それは我慢ではなく「努力」だと思います。

正直、うつ病の僕にとって、1記事数千字のブログの文章を書くのはしんどい時だってあります。

でも、ブログ記事を書いているときは多少しんどくても何より楽しいし、記事が完成した時の達成感というのは僕にとって何事にも変えられないものです。

ですので、「我慢」は「やらされている受動的なもの」、「努力」は「自ら進んでやる能動的なもの」と言い換えることもできるのではないでしょうか。

僕の主観では、我慢と努力を混同している人がすごい多い印象です。

そうやって、僕がブログを書きながらたどり着いた、うつ病の治療と幸せに生きていくために必要な考え方は、

「嫌々働かないために楽しく働く」

という考え方であって、

それを実現させるためには、我慢することではなく、

「頑張らないことを頑張る」

ということが必要なんですよね。

だから、「我慢して働け!」という意見にはこれっぽっちも賛同できないし、僕は、むしろその逆で「いかに我慢せずに働き、人生を最大限楽しむ」ことを真面目に、そして、真剣に考えています。

それは「人生という限られた時間をどれだけ我慢せずに生きられるか」ということを考えているのと同じです。

矛盾しているようにも見えるけれど、僕の場合「やりたいこと」と「楽しいこと」以外は、極力頑張らないようにし、やりたいことのみを頑張って楽しんでやっていたら、自然とうつ病の症状は軽くなってきましたし、お金も楽に稼げるようになってきたのです。

だから、これからも僕は「やりたくないこと」は絶対にやらないし、「やりたいこと」は全力で頑張って努力していこうと思います。

そうやって我慢しないことで、うつ病も寛解に向かっていくと思いますし、幸せに生きていくことができると信じています。

ですので、

「自ら進んでやる『努力』は必要だけれども、他人に強要される『我慢』は人間には一切必要ない。」

というのが僕が導き出した結論です。

最後に

ここまで読んで、あなたが僕の意見に対して、「自分はこんな環境の中、我慢して働いている!それなのにお前はなんなんだ!!」という怒りの感情をお持ちになられたのなら、それはすごいことでも偉いことでもなく、控えめに言って、完全に自我を失った思考停止状態だと僕は思います。

「こういう目標があって、その目標のために努力しています!」ならば分かりますが、ただ我慢して働いていることを自慢するようになったら、それはただの「社畜」や「老害」で、本当に危険な状態ですからね。

そこまでないにしても、もし人生が「やりたくないこと」で溢れているのならば、

「自分の身を削って犠牲にしてまでもその車や家は必要なのか?」

「毎月支払っている携帯や保険料などの固定費は無駄にはなっていないか?」

この機会に一度見直してみるのが良さそうですね。

もう一度言いますが、本来、人間に我慢は必要ないんです。

この資本主義社会では、何も考えることなく暮らしていると知らず知らずのうちに搾取され我慢を強いられることになります。

そして、思考停止状態だと本来必要ではない「我慢」を死ぬまでし続けることになりますので、どうかこの記事を最後まで読んでいただけたあなたには、我慢して生きる他人の人生ではなく、自分のために努力できる、あなた自身の人生を歩んでいけるよう願っています。

今回のお話は以上です。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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