「たった41円」が人生を変えた。うつ病で無職だった僕が、ブログで救われた話

※当ブログにはアフィリエイト広告が含まれます。

ブログで「41円」稼いだこと、ありますか?

ほとんどの人にとって、それは気に留めない数字かもしれません。

でも、うつ病で会社を辞め、無職でただ生きているだけだった僕にとって、その「たった41円」は、人生を変えるほど大きな意味を持っていました。

これは、そんな僕がブログを通じて”初めて社会とつながった日”までの話です。

稼ぐためじゃなく、自分を保つために書いたブログ。

そこに届いた一つのコメントと、はじめての収益。

「人生のどん底にいた自分が、誰かに届いた」と感じたあの瞬間を、今、あなたにそっと届けたいと思います。

この記事が、あなたの”最初の一歩”のきっかけになればうれしいです。

「たった41円」が、僕を救った

うつ病で辞めた22歳の僕に残ったもの

「41円」。

たったそれだけのお金が、あのときの僕に生きている実感をくれた。

大学を卒業してすぐ入った会社を、僕はわずか4ヶ月で辞めた。

理由はうつ病だ。

朝が来るのが怖くて、目覚まし時計のアラーム音を聞くだけで涙が出た。

何もしたくないのに、「何もできない」自分を責め続ける日々。

僕の22歳は、「何者でもない自分」と向き合う地獄のような時間だった。

無職で過ごす毎日は、ただ“生きてるだけ”だった

無職になってからの毎日は、ただ“時間が流れていく”だけだった。

世の中が忙しく動いているのに、自分だけ時が止まっているような感覚。

家族にも友達にも「大丈夫」と嘘をつき続けながら、心の中では「消えたい」「◯にたい」「もう楽になりたい」が繰り返されていた。

そんな中、ある日ふと目に入ったのが「ブログで稼ぐ方法」という記事だった。

お金のためというより、現実から逃げたかっただけだ。

無職で、何もしていない自分が、少しでも“何かをしている”と感じたかった。

当時の僕にとってブログを始めた理由は、社会復帰でも副業でもなく、「自分とつながる最後の糸」だったのだ。

最初の記事を書いたときのことは、正直ほとんど覚えていない。

ただ、自分のことを少しでも肯定したくて、とにかく「書いた」という事実だけを残したかった。

期待なんてしていなかった。

アクセスがゼロでも当然だと思っていた。

でもその翌日、アクセス解析に「1」という数字が表示された。

もちろん体調には波があるので、記事を毎日書くことはできなかった。

数週間かけて書いて10記事。

10記事書けたところでブログに広告を載せて収益を得るGoogle AdSense(グーグルアドセンス)に申請してみたのだ。

もちろんダメ元で申請したのだが、しばらくすると審査に通過したというメールが届いていた。

ブログに出会ったのは“逃げ”だった

お金を稼ぐためじゃなく、心をつなぎ止めるために始めた

「稼ぎたい」と思ってブログを始めたわけじゃない。

そんな余裕はなかった。

ただ、自分をつなぎ止めたかった。

なぜなら、何もしないでいると、気が狂いそうだったから。

でも何かをする気力も体力もない。

だからせめて、「書くこと」だけはしてみようと思った。

スマホで文章を書くことなら、寝ながらでもできると思ったからだ。

無職になってから、僕は時間を持て余していた。

SNSも怖い。

友達にも会えない。

それでも、どこかに「自分の存在を残したい」と思っていた。

そんな中で見つけたのが「ブログ」だった。

「ブログでも始めてみるか」

——そう呟いて、数ヶ月ぶりにパソコンを開いた。

何を書いたかはあまり覚えていない。

うつ病のこと、会社を辞めたこと、自分がどれだけ無力に感じているか。

日中はベッドの上から動けず、夜は眠れない。  

食事は1日1回、SNSも人と関わるのが怖くて開けない。  

そんな状態のなかで、ブログだけは「自分と世界の間にある薄い壁」みたいな存在だった。  

本音をさらけ出せる場所でもあり、誰にも届かなくてもいい“叫び”でもあった。

ただそれだけだった。

最初のアクセス、初めての「応援コメント」、そして…

初めて投稿したブログは、誰にも読まれないと思っていた。

だけど翌日、アクセスが「3」になっていた。

その日から、僕は毎日ブログを開いた。  

アクセスは一桁。

でも、それが「ゼロじゃない」ことが嬉しかった。  

“誰かが見てくれている”というだけで、自分を少し許せた。  

気づけばブログが「社会」との唯一の接点になっていたのだ。

驚きと戸惑いの中で、コメント欄に1件だけメッセージが届いていた。

「はじめまして。境遇に共感しました。応援してます。」

心臓がドクンと鳴った。

赤の他人。

顔も名前も知らない誰か。

でも、僕の言葉に反応してくれた人がいた。

そのコメントを何度も読み返した。

涙が出た。ほんとうに。

それから少しずつ、ブログを書くことが僕の日課になっていった。

“誰かが読んでくれるかもしれない”という感覚が、僕を少しだけ前に進ませてくれたのだ。

決して「元気になった」わけじゃないけど、「書いてる間は死なないですむ」ような気がした。

数記事目を書いたある日、グーグルアドセンスの管理画面を何気なく開いた。

すると、そこに「41円」という金額が表示されていた。

自分のブログに貼った広告がクリックされて、広告収益が発生したらしい。

たった41円。

でも、震えるほど嬉しかった。

「自分が書いたものが、世界のどこかで誰かに届いて、お金になった」

この感覚は、誰かの「いいね」や「フォロー」とはまた違う、

もっと現実的で、もっと生々しい“つながり”だった。

そして、これまでのどんな数字よりも、重みがあって、あたたかかった。

僕は、この41円を一生忘れない。

【たった41円】でも涙が出るほど嬉しかった理由

数字以上の価値があった「初収益」の意味

その「41円」は、僕の人生の中で最も価値のある41円だ。

たった数十円。

缶ジュース1本にも満たない額。

けれど、それが“自分の力で生み出したお金”だという事実は、想像以上に僕の心を震わせた。

広告をクリックしてくれた人のことはわからない。

でも、その人が僕のブログに辿り着いて、何かを読んで、そこにほんの少しでも「関心」を持ってくれた。

その一連の流れが、たった41円という数字に込められていた。

「え、たった41円?」と笑う人もいるかもしれない。

けれど、僕にとってはこの金額が“社会との接点”そのものだった。

会社を辞めて、社会からドロップアウトした自分が、

再びほんの少しでも「誰かの目に触れる場所」に立てたという事実。

それは、自己肯定感のかけらも残っていなかった僕の心に、 ほんの小さな光をともしたのだ。

僕にとって「誰かに届いた」証明だった

何よりも嬉しかったのは、「誰かに届いた」という感覚だった。

今までは何を書いても、何を思っても、それが“無”に消えていくような気がしていた。

でも、この41円は、誰かが確かに僕の存在に気づいてくれた証だった。

それは数字ではなく、「“つながり”の重さ」だった。

たった一人でも、自分の言葉に何かを感じてくれる人がいたという事実。

それだけで、僕は「まだこの世界にいてもいいのかもしれない」と思えた。

このとき初めて、「お金って感情を動かすことでも生まれるんだなあ」とも思った。

物を売ったわけじゃない。

サービスを提供したわけでもない。

ただ、僕は僕の人生を正直に書いただけ。

でもそれが誰かの心に触れて、41円が発生した。

それは単なる“数字”ではなく、“感情の通過点”だった。

この41円があったから、僕は「また書いてみよう」と思えた。

また誰かに届くかもしれない。

また誰かが、僕の言葉で救われるかもしれない。

その淡い可能性が、生きる意味のように思えた。

この最初の収益は、僕にとって「人生の再スタートの証明書」だった。

あの日、確かに僕は「無」じゃなかった。

なぜなら僕の言葉が、この世界のどこかで、小さく灯っていたからだ。

誰にでも“最初の41円”は訪れる

稼げるかどうかより「やってみた」ことの価値

あの41円をきっかけに、僕は「結果」よりも「行動」の価値を信じられるようになった。

たしかに収益としては小さすぎるし、「生活を変える力」はない。

けれど、あの日僕の心を動かしたのは金額ではなかった。

「やってみた」という事実が、自分の存在価値を少しだけ取り戻させてくれた。

だから僕は思う。

“誰にでも、最初の41円は訪れる”と。

それは必ずしもブログじゃなくてもいい。

動画でも、音声でも、イラストでも、何かを作ってみること。

誰かの目に触れる場所に出してみること。

その「最初の一歩」が、小さな成果に変わる瞬間は、きっと誰にでもある。

再現性がある、というより“全員違っていい”

「ブログで稼いでいます」と言うと、よく「再現性はありますか?」と聞かれる。

でも、正直に言うと、この41円に再現性なんてない。

僕の体験は、僕にしか起こらなかった偶然の積み重ねだ。

そもそも、うつ病になんてならなかったらこのブログも文章も存在すらしていない。

ただ、「あなたにも起こる可能性がある」とは言える。

それは行動した人にしか見えない景色だ。

見たことのない景色を見に行くには、少しだけ踏み出すしかない。

この世界には「最初の一歩」に意味がある。

結果が出るかどうかは後回しでいい。

まずやってみる。

形にしてみる。

それが、思っている以上に自分を助けてくれる。

大事なのは、「稼げたかどうか」じゃない。

「やってみたかどうか」なんだと思う。

この41円が教えてくれたのは、そんな“初動の大切さ”だった。

あの日の僕に伝えたいこと

成果じゃなく、変化に目を向けてほしい

もし、あの日の僕にひとつだけ言葉をかけられるとしたら、こう言いたい。

「結果なんかどうでもいい。君はもう、ちゃんと変わってるよ」って。

僕たちはつい、“成果”にばかり目を向けてしまう。

フォロワーの数、収益額、アクセス数…。

目に見える数字で、自分の価値を測ろうとしてしまう。

確かにそれも大事だ。

でも、本当に大事なのは、行動した“その事実”だったりする。

僕が41円を稼いだとき、周囲の人に言ったら笑われたかもしれない。

「バイト1時間分の時給の10分の1以下じゃん」って。

でも、自分の人生を振り返ったとき、この41円は、どんなバイト代よりも重い価値があった。

なぜなら、この41円は「人生を諦めなかった証」だからだ。

うつ病で、何もできなくなって、それでもほんの少しの勇気を出して書いた文章。

それを、どこかの誰かが読んでくれて、ほんの少し広告をクリックしてくれた。

事実としてはそれだけのこと。

でも、それだけのことで、僕の未来はほんの少し変わった。

未来って、大きな決断じゃなくて、小さな一歩でできていくんだと思う。

一気に変わろうとしなくていい。

誰にも認められなくていい。

たった一人の誰かに、たった一言でも届けば、それはちゃんと意味がある。

だから、今つらい中にいる人にこそ伝えたい。

「何かをやってみることに、遅すぎるなんてことはない」って。

そして、あなたの41円も、きっとどこかで生まれているはずだって。

[まとめ]41円が教えてくれた”最初の一歩”の価値

22歳でうつ病になり、会社を辞めて無職になった僕が、ブログで初めて稼いだ「41円」。

それは、金額としてはとても小さなものだったけれど、僕にとっては人生を変えるほどの意味を持っていた。

誰かが僕の文章を読み、広告をクリックしてくれた。

見知らぬ誰かから「応援してます」というコメントをもらえた。

そのすべてが、僕の「存在」が社会とつながった証だった。

僕がこの体験から学んだのは「行動の価値は”結果”ではなく”変化”にある」ということ。

最初から大きな成果を狙わなくていい。

再現性のあるノウハウを探すより、まず一歩を踏み出してみること。

たとえ1円でも、1クリックでも、それはたしかに「あなたが動いた証拠」である。

誰にでも、最初の一歩はある。

そして、その一歩が生み出す”小さな結果”は、決して小さくはない。

この記事を通じて、あなたの中にも「自分も動いてみようかな」と思える気持ちが芽生えたのなら、僕はとってもうれしいし、それこそが僕にとっての新しい”収益の形”なのかもしれない。

最後までお読みいただきありがとうごさいました。

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