僕にとってうつ病は「価値観の大転換」だった

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こんにちは。だいだいです。

うつ病になって早9年。

長かったですが、体調も落ち着き、やっと寛かいに持ってこれたのかなあと思います。

そして鬱を乗り越えた今だから言えることですが、僕にとってうつ病は「これまでの価値観の破壊」と「新しい価値観の形成」だと思っています。

どういうことかというと、うつ病は「価値観の大転換」であり、これからの人生をより豊かで幸せに生きていくために必要なものだったということ。

もちろん、うつ病を患わずに穏やかに生きていくことができればそれに越したことがありません。

僕は波がありながらも8年半という長い間、うつ病の症状に苦しんできました。

だから、1人でもうつ病になる人を減らしていきたい。

ですが、1度うつ病になってしまったなら、もうしばらくの間は元の元気な状態の身体には戻れないし、これを機会にこれまでの生き方とは全く違う気持ちと価値観で人生を進めていかなければならない。

「そう思えるようになって初めてうつ病の治療のスタートラインに立てたんだな」と、9年もたった今だからこそ思うようになったんですよね。

そこで当記事では、うつ病を乗り越えて寛解にまでたどり着けた僕の経験から、

「人はどのようにしてうつ病になるのか?」

「うつ病になってしまったらどうすれば治るのか?」

について考察していきます。

なお、僕はお医者さんでも専門家でもありません。

単なる「うつ病の経験者」なだけです。

そのため、当記事は専門的な見解ではなく、あくまで1人のうつ病経験者としての視点で書いていることを前提に読んでいただければ幸いです。

うつ病になる根本的な原因は「高すぎる理想とうまくいかない辛い現実とのギャップの差」

うつ病はよく「心の病」とも言われますが、僕は誰もがなる病気だと思っています。

なぜなら、人間の心ってそんなに強くはないから。

一般的にうつ病は「真面目な人ほどなりやすい」と言われますが、僕は「きっかけ」があれば性格に関わらず誰もがなる可能性があると思っています。

先に結論を言うと、うつ病は、自分の「こうあるべきだ」と思う高い理想と「何でうまくいかないんだ」と思う辛い現実とのギャップの間で生じるものであるということ。

そのギャップがまだ小さいだとか、自分の努力で何とかできるだろうと思えているうちはまだ大丈夫なんですが、

「もう自分にはどうすることもできない…」

といったような、「お手上げ状態」になってしまうとそこで絶望感が生まれ、その絶望感がうつ病になるスイッチを押してしまうものだと思っています。

うつ病になるきっかけは人によって本当にさまざまです。

僕がおかしくなったきかっけは、「新入社員7人のうち、自分だけが会社の資格試験に落ちたこと」でした。

これだけだと、「えっ?それだけでうつ病になったの?」と思う方もいるかもしれませんが、人間の心なんて脆いものです。

もちろん、僕がうつ病になった要因として、過労や寝不足、さらには人間関係もありました。

ですので、最初は激務で働き過ぎたからうつ病になってしまったんだなと思っていたんです。

ただ、今から思えばこれもあくまで「きっかけ」に過ぎなかったと思っています。

普通ならば「資格試験なんて落ちても次また頑張ればいいじゃないか」と思うことができますが、僕の場合、そう思うことができなかったんですよね。

そして一気に不安と絶望が押し寄せてきて、涙が止まらなくなってしまいました。

そこで僕はここにやっぱり本質があるんじゃないかなと思って、当時を含めてこれまでの経験をもとに色々と考えてみたんです。

大事なのは「なぜ理想と現実のギャップが開き過ぎるとうつ病を発症するのか?」

全てはここにあります。

うつ病の本質はこの「理想と現実のギャップの差」にあると僕は思っています。

高すぎる理想はどのようにして形成されていくのか?

ではなぜ理想と現実の間にギャップが開き過ぎるのか?

その前に、まずは「高すぎる理想はどのようにして形成されていくのか?」について考察していきます。

結論からいうと、それは幼少期からこれまで生きてきた環境と教育です。

というのも、子どもの頃から僕たちは「目標は大きく」とか「夢はでっかく」などと、理想を高く設定することを求められます。

その代表的な例が「将来の夢」。

たとえば男の子であれば、「野球選手やサッカー選手になりたい」と言うと周りの人からは賞賛されます。

具体的に周りの人とは、親、親戚、学校の先生、同級生、そしてテレビやネットなどメディアを通した社会全体。

事実、子どもがなりたい職業はこういったものが上位にきてますからね。

こんな風にして僕らは子どもの頃から頭の中で、自分は「こうあるべきだ」という人生の理想像が長い年月をかけて醸成されていきます。

それが知らず知らずのうちに「価値観」として自然に根付いてしまっているんですよね。

例を挙げると、

「今度の大会では最低でもベスト8に入らないと」

「次のテストでは全教科80点以上取りなさい」

「最低でも大学は出ておかないと」

「偏差値が50以上の学校に進学しなさい」

「中小企業ではなく大企業に就職するべき」

「安定を目指すなら公務員になりなさい」

といったように具体的な地位や名誉を求めることから、

「人に迷惑をかけてはいけない」

「男なんだから泣くのはおかしい」

「会社は多少しんどくても休まずに行くもの」

「男は外で働いて女は家の事をすべきだ」

「いい大人がアニメを見るなんてけしからん」

「無職やニートは恥ずかしい」

などといった、あくまで個人の価値観の違いなのに、それがあたかも社会全体のルールであるかのように刷り込まれていきます。

そうすると、自分の中で「こうあるべきだ」という高い理想像が自然にできていきます。

「将来、生活に困りたくないからとりあえず大学に進学する」

とか、

「ニートには絶対になりたくないからとりあえず就職する」

といった感じですね。

特に親や先生など、子どもの頃から身近な人の価値観をそのまま受け入れて信じてしまっている優等生の人ほど「こうあるべきだ」という理想像が高くなりがちです。

ただ、理想像が高くなることは悪いことではありません。

なぜなら、理想像を高くすることで、人は上を目指すために努力しようとするからです。

目標をクリアできれば人はそれだけで自分に自信を持つことができ、達成感と充足感に満たされます。

そしてさらに上の理想に向かって目標を設定し努力しようとしますし、良い結果が出せれば周囲の人も自分に期待を寄せてくるようになるでしょう。

そうなると、自分も周囲の人の期待に応えようとします。

こうした成功体験を積めば積むほど人は自信を持ち「もっと上を目指したい!」と向上心を持つので、これまでよりもさらに高い理想を掲げて行動するようになります。

簡単に言うと、これが人が「成長する」という過程ですね。

ですので、誤解してほしくないのでもう1度言っておきますが、理想を高くすることは悪いことではないのです。

うつ病になるかならないかの分かれ目はココ

ですが、問題はここから。

果たしてその成功が「自分だけの確固たる実力で手にしたものであるかどうか」。

これは自分ではなかなか分かりません。

ただ運が良かっただけかもしれない。

勝負の世界だったら、たまたま相手の調子が悪かっただけかもしれない。

もし、そうだったとしたら、自分には何の実力もついていなかったりするものです。

つまり、見た目は一人前だけど中身はすっからかん。

入学試験、スポーツの試合、就職活動、結婚などなど、見過ごされがちですが、人生にはこういったことはよくあります。

ゲームで例えると、レベルが低いのにもかかわらず中ボス戦に挑戦してみたら、たまたま運よく敵を倒せてしまって、次のステージに行けるようになってしまったようなものですね。

しかし、そんな状況で理想をさらに大きくしてしまうと、理想と現実のギャップがもっともっと広がっていきます。

ただ、ここで自己評価や自己分析がちゃんとできて、

「ああ、自分はまだまだなんだなあ」

とか、

「今回はたまたま運が良かっただけ」

などと思うことができたら、ギャップを自然に受け入れることができるので、うつ病にはならず、また気持ちを改めて頑張っていけるんだと思います。

ゲームで言えば、中ボスが倒せて次のステージに行けてもまだ進まず、前のステージに戻って経験値稼ぎをコツコツしていく。

そしてちゃんと通用する実力をしっかりつけ、レベルを十分に上げてから次のステージへ進んでいく。

そうすることができれば、理想が高くてもうつ病にはならないでしょう。

ですが問題は、こういった時に何らかのきかっけで自分が描いている理想と現実があまりにも大きく乖離し、自分にとって目にもしたくない、受け入れ難い現実が目の前に突き付けられたとき。

このように、どうしても埋められないギャップを受け入れることができない時、堰を切るようにうつ病のスイッチが入ります。

「こんなに頑張ってきたのに何で報われないんだ・・・!」

「もうどんなに頑張っても自分が理想としている世界には手が届かない・・・!」

「だったらもう死ぬしかない・・・!」

これが僕が感じた絶望感の正体。

こうなると、あとはきっかけ次第で簡単に人はうつ病になります。

次のステージに運よく行けてしまったことで、ボスどころか普通に出てくるザコ相手にも何度も負けてしまって「何で勝てないんだ!」と思って投げ出してしまう。

健康な人からしたら「そんなことで?」と思えるような出来事でも、うつ病のスイッチはいとも簡単に入ってしまうのです。

繰り返しになりますが、うつ病になるのはその「きっかけ」が直接の原因ではありません。

これまで生きてきた中で育まれた高い理想像を基にして形創られた価値観が下地にあるからこそ、その「きっかけ」でうつ病になるんです。

僕の場合は「みんなと一緒じゃなきゃダメだ」とか「失敗は許されない」という価値観が子どもの頃から長年に渡り自然と無意識のうちに植え付けられていたから。

このように、僕らが物心ついたころからこれまでの間に知らず知らずのうちに自然と育まれてきた「こうあるべきだ」という理想像、

つまり自分自身の価値観そのものが、うつ病になる環境と原因を生み出していると僕は考えます。

最初はとにかく休め!会社が要因ならば辞めてもいい

うつ病になってしまったらどうすればいいのか?

まずは、とにかく休みます。

というかこれに尽きます。

うつ病は一般的に「急性期」⇒「回復期」⇒「再発防止期」の3つのステージを順番に踏んで、少しずつ快方に向かっていきます。

急性期、いわゆるうつ状態になった初期っていうのは、正常な判断ができなくなっているので、自分で冷静な判断ができるようになるまでは休息が不可欠です。

ここで無理に動くと、うつ病はさらに悪化し、治るのにも時間がかかるようになってしまいます。

ですので、とにかく休みます。

会社に勤めている場合、多くの人はおそらく休職といった形になるでしょう。

過酷な勤務や職場の人間関係が要因であれば、まずその要因を取り除く必要がありますので、会社からは離れる必要があります。

休職しても会社が労働を押し付けてくるなら、逃げてしまっていいです。

僕も休職したのち、1ヶ月も経たずに会社は退職することになりました。

そもそも会社に人員の余裕とうつ病に対する理解がないからうつ病が発症するんです。

症状が軽くなったら復職という道ももちろんありますが、それは会社のうつ病に対する理解度次第。

というのも、働いていてうつ病になったということは会社にも一因があったということなので、復職できたとしても職場の環境が変わらない限り長くやっていける可能性は低いでしょう。

だから、もともと自分にはその会社は合っていなかったと割り切って、逃げてください。

ちなみに、ちょっと宣伝になりますが、こんなサービスもあります。

退職代行

自分がうつ病だと受け入れる

次に自分がうつ病であると受け入れる必要があります。

僕もそうだったのですが、病院でうつ病と診断されたにも関らず、

「自分はうつ病なんかじゃない!自分がうつ病にかかるはずなんてない!きっと何かの間違いだ!」

といったように、なかなか自分が「うつ病である」と認めることができなかったんですよね。

そう思っているままだと、快方に向かうどころか、いつまで経っても治療のスタートラインにすら立つことができません。

僕は1週間近くは自分がうつ病だと認めることができませんでした。

病院でちゃんと診断されたのに、何としても自分がうつ病ではないという、自分にとって都合の良い情報ばかり探していたんですね。

ですが、身体が壊れて働けなくなった状態が続いたことで、ようやくここで「ああ、自分ってうつ病なんだな」と受け入れることになったんです。

それでも本心はまだ認めたくありませんでした。

でも、何もする気がしない、そもそも身体が鉛のように重くて動けない、眠れない、食欲もない、ほぼ寝たきりといった日が続くと認めざるを得なかったんですよね。

ダメな自分を受け入れたうえで、ダメなところも含めて自分自身を認めてあげる

休養を続けて体調がある程度回復したら、ここからが大切です。

目安としては自分が回復期に入ったなと感じる時期でいいので、ここでこれまでの高すぎる理想像を全て捨て、新しい自分に生まれ変わる必要があります。

ここからが冒頭で言った「価値観の大転換」です。

この過程を行わず、いつまでも、

「鬱になったのはアイツのせいだ」

とか、

「会社のせいで自分はうつ病になったんだ」

と思い続けて自分に正面から向き合わず逃げたままにしていると、環境がちょっとでも悪い方に変わっただけでまたうつ病を再発してしまうことになってしまうんですよね。

そして残念なことに、自分と向き合うことを放棄すると、うつ病を免罪符にして、一生他人に依存する生活を送ってしまうことにもなりかねません。

もちろん、一度は逃げるべきなんですが、いつまでも逃げてばかりだといけないということ。

ここはかなりデリケートな部分ですし、その人の性格にも左右される部分もあると思うのですが、結局は「どこまでダメな自分と本気で向き合えるのか?」と言うことです。

先ほど述べたとおり、うつ病になった要因やきっかけは会社や人間関係など外部にあったとしても、根本的な原因はやはり「自分の中」にあるので、ここで自分に徹底的に向き合う必要があるんです。

正直、この過程はかなりつらいものになります。

1日や2日で簡単に答えが出るものではありません。

なぜなら「弱くてダメで非力な自分を受け入れたうえで、そんなダメな自分のことをダメなところを含め自分で自分を心から認めてあげないといけないから」。

もがいて、考えて考えて、頭がおかしくなるくらい考えて、それでもこうでもない、ああでもないともがき続ける。

こうやって今までの人生で育まれてきた価値観を全てぶっ壊して、新しい価値観を自分自身で生み出して育んでいくという作業は、たいへんつらいものになります。

僕の場合、うつ病を発症してここに至るまでに半年以上はかかりました。

ですが、この過程はうつ病を乗り越えるために1番重要なポイントになると僕は思っています。

僕の経験からすると、これができるかどうかで、うつ病を寛かいにもっていけるかどうかの分かれ目だと言っても過言ではないと感じています。

今の自分にできる、どんなに小さいことでも良いのでそれを積み上げていく。その積み上げが自分の新たな価値観を形作っていく。

「これまでの価値観をぶっ壊す」って簡単に言いましたが、これっておそらく人生で1番難しいことなんじゃないかって思うほど、簡単なことではないんですよね。

だって、幼少時の物心ついた時からこれまでの間に「こうであるべき」と自分が良しと思っていて疑いもしなかった価値観すべてを、根底から全て見直して再定義と再構築をしていかなければいけないからです。

だから、「これまでの価値観をぶっ壊す」ってものすごく難しいこと。

でもこれができればうつ病は半分以上は治ったものも同然だと僕は思うんです。

そこで僕がおすすめする方法は、「こんなことでいいの?」という難易度の低い成功体験を全くのゼロから積み上げていき、「理想を下げて生きていっても大丈夫なんだよ」と思える状態を目指すことです。

僕はこれを「自分を許してあげること」と呼んでいるのですが、たとえば、

「朝起きれて偉い」

「ごはんが食べれてすごい」

「外出できてすごい」

「お風呂に入れて偉い」

「今日も生きてて偉い」

など、どんなに些細で簡単なことでも、自分で自分を思いっきり褒めて認めてあげること。

健康な人からしたら当たり前の行動でさえ、自分にとってはすごく尊いこと。

社会や周囲からの評価ではなく、自分で自分を評価し、「偉い」「すごい」「できた」と1つ1つ積み重ねていくうちに、自分はこれからも「生きて良い」という気持ち(自己肯定感)が芽生えてきますし、他人軸ではなく自分軸とした価値観がだんだんと育まれていきます。

今まで他人の価値観で苦しめられたんだから、自分で自分を「偉かったね」「がんばったね」と許してあげ、今度は自分を軸とした価値観で生きていくことを決断していく。

うつ病からの回復には、この「自分を軸とした価値観」がものすごく大事になってくると僕は身をもって感じています。

というのも、僕はうつ病の療養中にブログを書き始めました。

ブログを始めた理由についてはここでは割愛しますが、ブログには今日は何人ブログを見てくれたのかが分かるアクセス解析を入れることができますよね。

そのアクセス解析を見て、

「どこに住んでいるのかも分からない顔も名前も知らない人だけど、こんなうつ病で無職のダメダメな僕が書いた拙い文章でも、読んでくれている人がいるんだな」

と思ったら、なんだかそれだけで「ブログ書いてて良かったなあ」とか「あの時死なずに生きてて良かったな」って思えてきてすごく泣けてきたんですよね。

そうすると、「なんで自分はあんなに落ち込んで悩んでいたんだろう」と、ある意味どうでもよくなって吹っ切れた感じになったのはよく覚えています。

僕もうつ病になる前まで、周囲の意見や評価など、親や先生、さらには同級生といった他人の目ばかり気にして、自分には相応しくない、高すぎる理想像を掲げてこれまで生きてきました。

そのおかげで、何か事あるごとに他人と比較しては自分のポジションを確認し、「〇〇君よりは自分は上だから大丈夫」などと安心材料を得ているつもりでいたんです。

テストの点数とか学校の偏差値とかもみんなそう。

子どもの頃から「何となく不安」という気持ちが常に心を覆っていて、物事を心から楽しむことができなかったんですよね。

それは今だからこそ言えますが、自分軸ではなく他人軸で生きていたからに他なりません。

実はこれが多くの人が感じる「生きづらさ」の正体。

人と比べて得られる相対的な幸せなんて、一過性で長続きするものではないのにもかかわらず、「自分にとってどうなのか」よりも、

「他人から見ておかしくないか?」

「自分だけ浮いてないかな?」

「よその人から見て恥ずかしくないか?」

といったように、他人の価値観が行動の基準になっていたから、僕はうつ病になったんだと思っています。

そう考えると僕はうつ病になるということは子どもの頃からすでに決まっていたのかもしれませんね。

もちろん、いきなり高い理想像をぶっ壊して新たな価値観を作っていくのは難しいです。

ですので、さっき例に挙げたように、ほんとに小さくて些細なことでもいいので、まずは自分ができること、これを地道に積み重ねていきます。

そして、

「大勢に認められなくてもたとえ1人でもその努力を認めてくれる人がいれば自分はそれで全然いいじゃないか」

「周りに誰もいなければ、自分で自分を褒めてあげればいいじゃないか」

と考えていきます。

ちょっと古いですが「これでいいのだ!」とバカボンのパパのように、全てをありのままシンプルに受け入れて捉えることができれば、うつ病は治ったのも同然だと僕は思います。

〈最後に〉僕はうつ病になってよかった

僕は今はうつ病になってよかったと思っています。

もちろん、「みんなうつ病になった方がいいよ」なんて絶対に言えませんし、むしろうつ病になんてならないに越したことがありません。

ですが、僕はうつ病になったことで、結果的に本来の自分に相応した価値観を得ることができたし、そのおかげでやりたいことも見つかったので、今はあの時うつ病になって本当によかったなあと思っています。

うつ病になった時はものすごく辛くて、本当に死んでしまった方が楽になれるんじゃないかなと思ったことは何度もあります。

ですが、うつ病にならずにあのまま他人の価値観のもと、自分のやりたいことも見つからずただ死んだように生きているのを想像すると、そっちの方がぞっとします。

また、僕もうつ病になる前は恥ずかしながら「うつ病は甘え」とか「無職なのは努力が足りないからだ」と思っていて、正直、うつ病や無職の人を見下して馬鹿にしていました。

今から思うと本当に恥ずかしいことだと思いますが、それまではうつ病なんて自分の人生とは無縁なことだと思っていたんです。

だからこそ自分がうつ病だと受け入れるのに時間がかかって余計苦しむことになったのですが、自分がうつ病で無職という立場になったことで、

「自分なんてもともと非力で弱い人間なんだな」

って気づかされ、そういった自分と同じような人の「何で分かってくれないんだ」という辛さ、苦しみ、しんどさ、悲しみといった気持ちが身に染みて分かるようになったんですよね。

だからやっぱり僕の人生にはうつ病は必要なものだったんだなと、9年もたった今になって特に強く思います。

このように、僕にとってうつ病は「価値観の大転換」で、これからの人生をより豊かで幸せに生きていくために必要だったということ。

長くなりましたが、僕がうつ病になってうつ病を乗り越えた経験が誰かの役に立てば嬉しいです。

最後にリンカーンのあの有名すぎる名言を置いておきます。

あなたが転んだことには関心はない。
そこから立ち上がることに関心があるのだ。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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