すべては絶望から始まった
うつ病になり、働けなくなった。
毎日、ただただベッドの上で天井を見つめるだけ。
身体は鉛のように重く、時間の感覚すら失っていく。
「なんで自分だけこんなに情けないんだ…」
「迷惑ばかりかけて、生きてる価値なんてない…」
そんな考えが頭の中を埋め尽くし、本気で命を絶とうと思ったことが幾度もあった。
社会復帰への焦りと、もう一つの本音
体調が少しずつ落ち着き始めると、今度は「早く社会復帰しなくちゃ」という焦りが生まれた。
と同時に、心の奥底ではこうも思っていた。
「このままずっと働かずに済んだらなあ…」
これは口に出すのもためらうような、ある意味、“わがまま”な本音で、死のうと決めていた僕の“最後の願い”でもあった。
雇われずに稼げる「ブログ」という選択肢
そのとき、ふと考えた。
「どうせ死ぬなら、働かずに生きていけるか試してからでも遅くない」
そこで選んだのがブログだった。
なぜブログを選んだのかというと、ブログで稼いで会社に雇われず生きている人がうらやましく思えたからだ。
もし失敗したら、そのときこそすべて終わりにすればいい。
もちろんそんな自分勝手でわがままな動機で始めても成功するわけないと思っていた。
というか、「どうせ失敗するだろう」という、どちらかというと諦めに近い、淡い気持ちからのスタートだった。
でも、「絶対に成功して人生逆転させてやる!」という思いも確かにあった。
あの時は若すぎたこともあるけれど、それでも僕はまだ自分の人生を完全に諦めきれなかったからかもしれない。
とにかく、これまでこんなに苦しんだし、どうせ死ぬんだから最後ぐらい好きなことをしてもバチは当たらないだろうと思い、
気づけば僕は自分のブログを開設していたのだ。
小さな結果が、もう一度生きる力になった
そんな「葛藤」と「負の感情」で書き始めたブログは、意外にも多くの人に読まれた。
きっと、変にカッコよく見せようとしたのではなく、自身のうつ病の現状と心の叫びをありのまま発信し続けたからであろう。
書いた記事に反響があるたびに、
「もう一度、記事を書いてみよう」
「もう少し、生きてみてもいいかもしれない」
記事を書く時は、今でもそんな気持ちで書いている部分がある。
あの時の“最後の願い“を叶えるために
あのとき始めたブログは、僕にとって、ただの副業以上の存在になった。
それは、絶望の世界から僕を引き戻す小さな希望の灯だったからだ。
アクセス数や報酬額が増えるにつれて、僕は生きることに希望を見い出すことができるようになった。
そして、こんなことを言うと多分、いや、必ず批判が来ると思うけど、今でも僕が記事を書くのは「働きたくないから」。
厳密にいうと働くことは嫌いじゃないけれど、「人に使われて働くこと」がどうも性に合わない。
だからこれからも僕は文章を書き続けるだろう。
もちろん、表向きでは読んでくれる読者の方が少しでも「役に立った」とか「心がラクになった」と思ってくれるために書いている(というか単なる日記を書いても読まれないし稼げない)けれど、
僕が記事を書く原動力になっているのは、人助けとか社会貢献なんていう綺麗事ではなく、今書いてきたような自分の心の奥底から湧き出る「暗い情熱」なのかもしれない。