「タイパが悪いからやめとこう」
「それ、コスパ悪くない?」
——そんな言葉を耳にするたび、僕は思うことがある。
みんなが“効率”を当たり前のように追い求めているこの社会で、本当に大切なものはどこにあるのだろう?
今回はうつ病を経験した僕が、立ち止まって見つけた「非効率の中にある幸せ」について、少しだけ話させてほしい。
目次
「タイパ」と「コスパ」が支配する社会で
最近、「タイパ(タイムパフォーマンス)」や「コスパ(コストパフォーマンス)」という言葉が、当たり前のように使われている。
「どれだけ短時間で成果を出せるか」
「費やすお金や時間に対してどれだけ見返りがあるか」——
もちろん、これらの視点が大切な場面は多々ある。
でも、あまりにもこの価値観ばかりが持ち上げられている今の社会に、僕はどうしても違和感を抱いてしまう。
仕事でも、プライベートでも、
「それって意味あるの?」
「それ、時間のムダじゃない?」
という言葉が飛び交う。
まるで、人生のあらゆる瞬間に“効率”という物差しがついて回っているようだ。
「無駄」にしか見えない旅に、心が震えた
僕は学生の頃、夏休みに「青春18きっぷ」で全国をぶらぶら旅したことがある。
青春18きっぷとは、簡単に言えば特急や新幹線には乗れず、普通電車のみ乗れるきっぷのことだ。
僕はこのきっぷを使い、新幹線を使えば2時間程度で着く距離を、各駅停車で半日かけて移動した。
目的地での観光も楽しい思い出だけど、それ以上に心が動いた瞬間は、電車での移動中の時間。
窓の外に流れる田園風景、聞いたこともない駅名、そよ風に揺れる草木に、駅につく旅に入れ替わる他の乗客たちの聞き慣れない方言。
好きな音楽を聴きながら何も考えず車窓をぼーっと眺めていたあのとき、僕の心の中には確かに「幸せ」があった。
効率だけで言えば、完全に“ムダ”な旅。
でも、その時間は、10年以上たった今でも僕にとってかけがえのない思い出になっている。
「遊び」に効率なんて求めていなかった
子どもの頃のことも思い出す。
公園でひたすら鬼ごっこをして、どろんこになって笑い転げていた日々。
テレビゲームに夢中になって、気づけばもう夕飯の時間。
そのどれもが「時間のムダ」だなんて、思ったことすらなかった。
大人になると、何をするにも
「それ、何の役に立つの?」
「将来につながるの?」
と意味を探してしまう。
でも、あの頃の僕らは、ただ「楽しいから」という理由だけで、意味もなく毎日を全力で遊んでいたはずだ。
僕は効率を追い求めて、壊れた
少し話が重くなるけれど——
僕が社会人になってすぐの頃は、ずっと「効率的に成果を出す」ことばかりを考えていた。
仕事をなるべく早くこなし、スキルを身につけ、いち早く成果を出すことが「正解」だと思っていた。
でも、あるとき限界が来た。
体も心も悲鳴をあげ、僕はうつ病になった。
効率よく生きることにばかり気を取られて、気づいたら「何のために生きているのか」すらわからなくなっていた。
無駄を楽しむことが、人生を豊かにする
今、僕はこう思っている。
本当の幸せって、「意味があるかどうか」とか「効率が良いかどうか」ではなく、「心が動くかどうか」で決まるんじゃないか、と。
無駄に思える寄り道や、誰の得にもならない遊び、結果の見えない挑戦——などなど
そういう一見“無意味”や“非効率”なことの中に、人生を豊かにしてくれるヒントが隠れている。
効率を全否定したいわけじゃない。
でも、効率だけが正義になってしまったとき、きっと人はどこかで疲れてしまう。
一見、無駄だと思うことを心から楽しめることが、効率ばかりが重視される現代において、“最高の贅沢”なのかもしれない。
「意味がないと思うことに、本当の幸せがある」
そんな言葉を、僕はこれからも大事にして生きていきたいと思う。
まとめ
- 「効率」は便利だけど、幸せのすべてじゃない
- 遠回りやムダなことに、心が救われることもある
- 子どもの頃のように、「ただ楽しいから」やることも、大切にしていい
- 時には、意味や目的を手放して、ただその瞬間を味わってみよう
最後に
効率のいい生き方が求められるこの時代だからこそ、あえて「ムダな時間」を持つことが、意外にもあなたの心を守ってくれるかもしれません。
どうか、自分の「好き」や「心が動く瞬間」を、見逃さず大切にしてください。
最後までお読みいただきありがとうございました。