ロバを売りに行く親子の話から考える「すべての人を納得させる難しさ」

すべての人を納得させるのは無理

こんにちは。うつ病ブロガーのだいだいです。

突然ですが、僕はこう思うんです。

「すべての人を納得させるのって難しいというか、正直無理だな」と。

そう思っていると、ある寓話を思い出したので、今回は

「すべての人を納得させる難しさ」

について一緒に考えてみようと思います。

目次

ロバを売りに行く親子の話

あなたは「ロバを売りに行く親子」というイソップ寓話をご存じですか?

おおまかなあらすじはこうです。

ロバを飼っていた父親とその息子が、そのロバを売りに行くため、町の市場(いちば)へ出かけます。

二人がロバを引きながら町へ向かう道を歩いていると、それを見た人が、

「せっかくロバを連れているのに、乗りもせず歩いているとはなんてもったいないことだ。」

と言いました。

それを聞いた二人は「なるほど」と思い、父親は息子をロバに乗せて歩き始めます。

しばらく道を行くと別の人が二人の様子を見て、

「元気で健康な若者が楽をしてお父さんを歩かせるなんて、あまりにもひどいじゃないか。」

と言いました。

それを聞いた二人は「なるほど」と思い、今度は父親がロバにまたがり、息子が父親を乗せたロバを引いて町へと歩き出します。

するとまた別の人が二人を見て、

「自分だけ楽をして子どもを歩かせるとは、なんてひどい親なんだ。二人で一緒にロバに乗ればいいだろう。」

と言いました。

二人は「それはそうだな」と思い、二人でロバに乗って市場のある町を目指します。

すると今度は、

「二人もロバに乗るなんてロバがあまりにも重くてかわいそうじゃないか。もっとロバを労わって楽にさせてやればどうか。」

と言う人がいました。

父親と息子はこうすればロバが楽になるだろうと思い、狩りの獲物を運ぶかのように、1本の棒にロバの両足をくくりつけて吊り上げ、二人でロバを担いで歩きます。

しかし、窮屈な姿勢を嫌がったロバが急に暴れだしました。

不運なことに、ロバが暴れだした場所は町に入る直前の橋の上でした。

暴れたロバは川に落ちて流され、そのまま死んでしまいました・・・

すべての人を納得させるのは不可能だから、それなら自分の意見を大切にした方が良い

katja / Pixabay

さて、あなたはこの話を聞いてどう思いましたか?

「親子がすごい気の毒だな」

と思いましたか?

それとも、

「この親子はバカだな」

と思いましたか?

この寓話の主な教訓としては、

「他人の意見ばかりに耳を傾け、それだけに左右されるだけで自分の頭で何も考えずに行動していると、終いには痛い目に合いますよ」

という教えです。

物語に出てきた親子は道行く人の意見に反論もせずにその意見に忠実に従いました。

その点では出会う人々と揉め事になることもないので、喧嘩になることはなく、その場は穏便に済むことでしょう。

逆に自分の意見を持てば、意見の合わない人と揉めることだってあります。

しかし、そうやって他人に流されてばかりの主体性のない受動的な人生を送っていると、争いには一生巻き込まれないかもしれませんが、自分の価値観や信念といったものがいつまでたっても育まれないため、終局的には自分が今生きている意味というのが分からなくなってしまいます

さらに、他人任せに自分の人生の選択肢を選んで、もしその結果が失敗だったとしても、その他人は自分が下した選択に一切の責任を負ってくれません。

つまり、この物語は裏を返すと、

「何も考えずにみんなに好かれようとする行動だけをとり続けると、逆に誰一人からも好かれない中身のないつまらない人間になるよ」

ということも教えているんだと僕は思います。

結局、

すべての人を納得させるのは無理なんだから、誰からも好かれようとするのは賢いことではなくむしろ愚かなことで、

そうであるならば自分の意見や信念を大事にして行動していった方が何事も自分の納得のいく結果になるし、逆に人にも好かれるようになる」

と僕は思うんです。

他人にアドバイスを求めるのは悪くありませんが、結局は、どんな人生を送るのか決めるの最終的に他でもない自分だけ

他人に決められた人生だなんて、たとえ失敗しなくても自分が心から満足いくものではないと思うし、何事も自分のことは自分自身で決めることが何より大切なことなんだと僕は思います。

否定ではなく肯定的な視点で

さらに、僕はこの話を聞いて、

「何事も否定ではなく肯定的な視点で物事を見ていきたいなあ」

と思いました。

この物語を、親子ではなく道行く人々からの視点で見ると、例えば、親子が出会った二人目の人は、

「元気で健康な若者が楽をしてお父さんを歩かせるなんて、あまりにもひどいじゃないか。」

と言っているけれど、この状況では、

「なんて子ども思いの優しいお父さんなんだ。」

と考えることもできるじゃないですか。

三人目だって、

「二人もロバに乗るなんてロバがあまりにも重くてかわいそうじゃないか。」

と言っているけれど、

「二人も人間を乗せて歩くことができるロバはなんて優秀なロバなんだ。」

っていう見方もできますよね。

結局、物事の良い悪いの判断は人それぞれで、価値観もみんな違うんだけれど、「物事をどういう視点で見るか」によって変わってくると思うんです。

たとえば、原子力発電所再稼働の賛否でも、

「地震がいつ来るかわからないから今すぐ止めないと危険」

という人もいるし、

「せっかく原子炉があるのに動かさないなんてもったいない」

という人もいるということです。

批判する人は何をしても批判する

もう一つ、僕はこの話から思うことがあります。

ちょっと意地悪な考えかもしれませんが、こんな見方もできると思うんです。

それは「道行く人が変装していてすべて同一人物だった場合」

つまり、「何をやっても批判しかしない、どうしようもない人も世の中にはいるよね。」っていうことです。

でもそういう意地悪な人ってあなたの周りにもたくさんいますよね。

先ほど僕は、

「人の判断や価値観は人それぞれ」

と書きました。

しかし、人を蹴落とすためや、自分の立ち位置を守るのに必死な人っていうのは、価値観に関係なく重箱の隅を突っ込むような粗探しをして常に揚げ足取りをしようとします。

そういう意地悪な人は、自分の立場が危うくなる行動や、自分にとって気に入らない行動っていうのが目につくと、いくらでもあれこれ勝手に理由をつけて批判し、相手を自分の思い通りに服従させようとします。

もちろん建設的な批判や代替案などをちゃんと提示する人もいるので、批判すること自体が100%悪いことではありません。

ただし、上記のようななんでもかんでも批判し、相手を服従させるような、自分のことしか考えていない人の意見に従ったり付き合ったりするっていうのは完全に自分の人生が損ですし、すごいもったいないことだなあと思います。

だからそういう自分勝手で残念な人の言うことは相手にせず無視して、自分の思うとおりに、信念を貫いて行動していった方がいいんだなあと改めて思いました。

最後に

今回は「ロバを売りに行く親子」の話から、

「すべての人を納得させる難しさ」

「すべての人に好かれようとする愚かさ」

さらには、

「何でも批判する人もいるよね」

っていう話もしました。。

相手の意見を尊重するのは大切ですが、それが行き過ぎて他人の言うことに従っていちいち振り回されていると、やがて自分が自分でなくなって自己というものが焼失してしまうと僕は思うんです。

そういう人が上記で触れた何でも批判したがる残念な人になっていくんだと思いますが、重要なのは他人の意見よりも、

「自分はこうである」

「自分はこう思う」

といった自分の心の中からの強い思いであって、自分の意見を押し殺してまでして他人の意見に忖度をすることではありません。

他人の意見は真に受けるのではなく、あくまで参考程度に聞いておくのが賢い生き方です。

他人がどう言おうと自分は自分」

そういった自分の心の底からの強い思いが信念となり、人間の価値観を形作っていくものだと思いますし、そういう信念や心を持って主体的に行動し続けた人が最終的にはより魅力的な人間に映るのではないかと僕は思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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1 COMMENT

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いやぁ、「同一人物」説、それは面白いと思いますよ。そこでもいろいろ考えられます。からかって楽しんでいる人。親子を動揺させて、ストレス解消している人。あるいは、親子の人間レベルを試している、神の化身…。
この話にはバリエーションがあって、最後には「ロバの皮を剥いだ方が、軽くなっていいだろう」と思い立ち(あるいは、そそのかされ?)、その通り皮を剥ぐが、ハエがたかってどうしようもなくなり、ロバを捨ててしまう。こんな展開もあるみたいです。

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